毎日の聖書9月5日〜

おざく台教会毎日の聖書 9月5日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

9月5日(月)ヨブ記8章

13節「すべて神を忘れる者の道はこのようだ。神を敬わない者の望みは消えうせる。

 ヨブ記で8度ほど言及される表現であり、全くもって正論です。しかし友への支えとはなりません。悲しむ者に必要なのは、上からの関わりでなく、横から、あるいは下からの関わりです。

 キリストは神でありながら、私たちの傍らに来て下さいました。だから私たちは慰められ、支えられたのです。ピリピ2:6~8を読み、あなたの人への関わりを問い直してみてください。

 

「2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、2:8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」ピリピ人への手紙

 

9月6日(火)ヨブ記9章

8節「神は牡牛座、オリオン座、すばる座、それに、南の天の室を造られた。

ヨブはこの後もたくさん悩みます。そして、様々な慰めの中の一つとして、雄大な大自然に表された、神の偉大さと素晴らしさを再確認し、ひざまずくことになります。空が澄んでくる季節です。夕焼けでも、星空でも、虫の声でも、神の創造のすばらしさを一つじっくりと味わう時をもってみてください。

あなたはすばる座の鎖を結びつけることができるか。オリオン座の綱を解くことができるか。 」ヨブ記38章31節

9月7日(水):ヨブ記10章

18〜19節「なぜ、あなたは私を母の胎から出されたのですか。私が息絶えていたら、だれにも見られなかったでしょうに。私が生まれて来なかったかのように、母の胎から墓に運び去られていたらよかったものを。

 悲しみや苦しみが恐ろしいのは、神の言葉(イザヤ43:4)と全く逆の思いへと心が導かれ、満たされてしまうことがあるからです。もちろんしっかりと悲しむことも大切です。しかし、これは神の思いとは違うな、と気づくことも大切です。そんな時こそ神の言葉に頼ってください。痛むあなたの心に語りかける神の言葉を聞いてみてください。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 」イザヤ43章4節

9月8日(木)ヨブ記11章

15節「そうすれば、あなたは必ず、汚れのないあなたの顔を上げることができ、堅く立って恐れることがない。

 友人たちの言葉は、ある場面に置いては決して間違ってはいません。しかし、友人たちはヨブが隠れた罪ゆえに苦しんでいると考え、悔い改めと回復を勧めましたが、今回の場合ヨブの苦しみに、本人の落ち度ではありませんでした。

 神の言葉は、聖書は、ハウツー本のようにあらゆる場合に安易に適用していいような、単純なものではないのです。安易な判断や結論で、人や自分を裁き傷つけてはいませんか?

 正しさももちろん大切ですが、苦悩や葛藤の中でも、答えが簡単には出ない中でも、神に向き合い続け

る姿勢や、悲しむものとともに悲しむ姿勢、こそが本当の信仰なのだと思います。

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 」ローマ12章5節

9月9日(金)ヨブ記12章

10節「すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある。

 因果応報の論理でヨブの罪を主張する友人たちに対し、今回の悲劇の理由は不明だが、全ては神の手によることだとヨブは主張します。ヨブは知識は不十分でしたが、この一点においては正しかったのです。ヨブ記のテーマは義人の苦しみです。義なるキリストの苦しみも含め、それは神の手のうちにあるのです。そして、イエスが神の御手のうちにあるならと、十字架という盃を受けたように、私たちも神の御手のうちにあるならきっと意味があるに違いないと、苦しみの中でも歩んでいくことができるのです。

私の霊を御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました。 」詩編31篇5節

9月10日(土)ヨブ記13章

7〜8節「あなたがたは神の代わりに、なんと、不正を言うのか。神の代わりに、欺きを語るのか。 神の顔を、あなたがたは立てるつもりなのか。神の代わりに言い争うのか。

 自分は御心を行い、神の代弁者として語っている、そう思う時は注意してください。キリスト教はそう思い上がり、戦争や虐殺など多くの罪を犯してきました。神は私たちの小さな頭には収まりきらない大きな方です(36:26)。良い意味で自分を疑い、偏った主張や、誤った動機がないか、(私たち人間の言葉はつねにこの両方があるのです)、探ってみて下さい。

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」イザヤ55章9節

9月11日(日)ヨブ記14章

1節「女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいです。

 私たちの生涯には、多くの苦しみがあります。もしヨブの友人たちが言うように、それらお苦しみあ、神が私達を監視していて、罪や失敗に罰を与えているとしたら、どれだけ空しい生涯でしょう?

 しかしヨブは思い返すのです。神が私たちを愛し、決して放ってはおかず、私たちを命がけで救う方であることを(19:25)。悲しみのときにもヨブのように思い返して下さい。神は良い方です。

「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。 」ヨブ記19章25節

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