毎日の聖書2月2日〜
く台教会毎日の聖書 2月2日~
1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
2月2日(月)ヨブ記37章
14節「これに耳を傾けよ。ヨブ。神の奇しいみわざを、じっと考えよ。」
思い上がったヨブに、神の御業が繰り返し示されます。人は自分が世界の中心かのように考えますが、そのような自己中心さが、ヨブを、ヨブの友人をおかしくしてしまいました。
世界の中心は神であり、全てを支配しておられる神と認めることが、ヨブの回復の始まりでした。今日、時間をとり、神の奇しい御業に思いを巡らせてみてください。
「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。 」詩篇131篇1節
2月3日(火):ヨブ記38章
2節「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。」
人間の集めたあらゆる知恵も、自分なりの正論も、神の前にはこのように言われます。私達より遥かに優れた賢人ソロモンは「神を恐れよ・・これが人間に取ってすべてである。」(伝道者12:13)と言い残しました。私たちの知識や理性は神からの賜物であり、とても大切です。それらは神を見上げてこそ、正しく用いることが出来るのです。一日の始まりに、まず神を見上げてください。
「 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 」イザヤ55章9節
2月4日(水)ヨブ記39章
19節「あなたが馬に力を与えるのか。その首にたてがみをつけるのか。」
人の知恵や力、命は有限であり、神は無限な方です。カトリックの作家曽野綾子さんは「人間の分際」という本を書きました。神の前に自分とは何者かを知る、ここから神との正しい関係と、神に造られた人間としての相応しい歩みが始まるのです。
「高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。」 箴言11章2節
2月5日(木)ヨブ記40章
4節「ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。」
この一見すると情けないヨブの告白から、ヨブと神との、ヨブ自身の回復が始まりました。偽りの祝福は胸を張る先にあり、本当の祝福はひざまずき、へりくだる先にあるのです。
「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」箴言18章12節
2月6日(金)ヨブ記41章
11節「だれがわたしにささげたのか、わたしが報いなければならないほどに。天の下にあるものはみな、わたしのものだ。」
神様は人間の召使でも、取引相手でもありません。神から与えられるものは、褒美でも、報酬でもなく、一方的な恵みです。私たちの命も、時間も、所有物も、全ては恵みなのです。
「私は、主の恵みを、とこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。」詩篇89篇1節
2月7日(土)ヨブ記42章
6節「それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。」
神の前での自分の小ささを知ったヨブは、友人を責めず、かえって祝福しました。立派な歩みは、神の前での謙遜から始まるのです。あなたは、神の偉大さの前に、日々ひれ伏していますか?
「 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」ヤコブ4章10節
2月8日(日)詩篇1篇
1節「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。」
聖書で言う幸い(さいわい)は、私達の考える幸せ(しあわせ)とは違います。その根拠は、称賛・富・健康・地位・やりがい、などではなく、苦労や損をしても、目立たなくても、神と人を愛する道を選び続けることにあります。あなたは幸せを求めていますか?幸いを求めていますか?
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)
