毎日の聖書1月26日〜

おざく台教会毎日の聖書 1月26日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

1月26日(月)ヨブ記30章 

20節「私はあなたに向かって叫びますが、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めてくださいません。」

 自己中心と自己肯定に陥っていたヨブですが、唯一の救いは、「神」でなく「あなた」と呼ぶ姿勢が残っていたこと、主から完全に目を背けず、天を見上げることが出来ていたことです。天の父を「神」と呼ぶことはまちがいではありません。けれど、あなたの状態が悪いときこそ、天の父をより親しく、「あなた」と呼んで祈ってみてください。

 

「しかし、私の主、神よ。どうかあなたは、御名のために私に優しくしてください。あなたの恵みは、まことに深いのですから、私を救い出してください。 」詩篇109篇21節

1月27日(火):ヨブ記31章 

40節「ヨブのことばは終わった。」

 内にある全て吐き出すかのような独白が終わります。失礼な言葉、不信仰な内容もあったでしょう。しかし、神はヨブの痛みも感情もしっかりと受け止めてくださいました。だからこそ、この後、しっかりと答えてくださったのです。

 私達にもこの独白が必要ではないでしょうか?神は私たちの感情も、愚かさも、ちゃんと受け止めてくださいます。神様にあなたの内側を注ぎだしてみてください。

 

「 ハンナは答えて言った。『いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。』 」第一サムエル記1章15節

1月28日(水)ヨブ記32章 

1〜2節「この三人の者はヨブに答えるのをやめた。それはヨブが自分は正しいと思っていたからである。すると、ラム族のブズ人、バラクエルの子エリフが怒りを燃やした。彼がヨブに向かって怒りを燃やしたのは、ヨブが神よりもむしろ自分自身を義としたからである。」

 人間は高慢・自己義認・自己中心・自己肯定という、死に至る病にかかっています。「私は正しい」(34:5)ほど罪深い言葉はありません。私たちは「神は正しい」と言ってへりくだるのです。

 

「それは、次のように書いてあるとおりです。『義人はいない。ひとりもいない。』」ローマ3章10節

「ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。『義人は信仰によって生きる』のだからです。」 ガラテヤ3章11節

 

1月29日(木)ヨブ記33章 

12節「聞け。私はあなたに答える。このことであなたは正しくない。神は人よりも偉大だからである。」

 これを知らない人が、これを忘れた信仰者がいかに多いことでしょう。神は憐れみ深く、キリストは私たちのために命さへも投げ出しました。

 しかし、あなたは王ではなく、神はあなたに仕える下僕ではないのです。神はいと高き偉大な方です。その偉大な方が、人となり、人に仕え、十字架にまでかかってくださった。そのことに感動し、私たちは、この方の前にへりくだり、礼拝するのです。本当の幸いは、ひざまずき神を見上げるところにあります。

 

 「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。」黙示録11章17節

1月30日(金)ヨブ記34章

18節「人が王に向かって、「よこしまな者」と言い、高貴な人に向かって、「悪者」と言えるだろうか。」

 エリフにあり、ヨブ達に欠けていたもの、それは神への畏れ、神の前での遜りです。高慢な者は自分の真理を語りますが、謙遜な者は神の偉大さを語ります。エリフの言葉に従い、全地の王である神の前に、跪き、見上げる時をもってください。

 

 「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」第一ペテロ5章6節

 

 

1月31日(土)ヨブ記35章 

5節「天を仰ぎ見よ。あなたよりはるかに高い雲を見よ。」

 究極的な意味では、この地には真理や救いはありません。牧師や信仰者にも、教会堂にもありません。真理も、命も、救いも、ただ天にのみ、神にのみ、キリストにのみあるのです。だからこそ日曜日に、皆で集まり、天からの言葉に聞き、祈り、皆で天におられる方を仰ぎ見、ひれ伏すのです。

 

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」イザヤ45章22節

2月1日(月)ヨブ記36章 

5節『見よ。神は強い。だが、だれをもさげすまない。その理解の力は強い。」

 36章には、高慢な者には厳しくも、へりくだる者にはあわれみ深い神が示されています。イエス様は自己義認する宗教家には厳しく接し、貧しく虐げられたものには、哀れみと慰めをもって接しました。

 私達が祈りや礼拝で神の前に出る時、どのような心をたずさえて神に出会いましょうか?また、高慢な心ですか?謙遜な心ですか?また、今日出会う人とどのような心で向き合いましょうか?

 

「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」第1ペテロ5章5節

 

Top