毎日の聖書7月25日〜
おざく台教会毎日の聖書 7月25日~
1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
7月25日(月)第2歴代誌34章
14節「彼らが、主の宮に携え入れられた金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤは、モーセを通して示された主の律法の書を発見した。」
なんと神の民が、聖書のことを忘れ去っていました。それでどうして、神の子として歩めるでしょう?
では私達はどうでしょう?宝として、命として、希望として、聖書を愛し、喜び、求め、すがっているでしょうか?あなたの手に聖書があること、いつでも読めること、それは驚くべき恵みなのです。神様の語りかけを愛し、尊び、守り、従って下さい。
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」詩篇119篇105節
7月26日(火)第2歴代誌35章
18節「預言者サムエルの時代からこのかた、イスラエルでこのような過越のいけにえがささげられたことはなかった。イスラエルのどの王も、ここでヨシヤが行い、祭司たちとレビ人、および、そこにいた全ユダとイスラエル、さらに、エルサレムの住民たちがささげたような過越のいけにえをささげたことはなかった。」
過ぎ越しの生贄をささげることは、義務や負担ではなく喜びです。出エジプトの奇跡を、神の愛と救いの御業を記念し、自分の幸いを祝うことでした。民はもう一度救いの原点に帰り、自分が何者かを思い返したのです。 今日、自分が救われたときのことを思い返し、感謝の祈りを捧げてみてください。
「あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。」詩篇51篇12節
7月27日(水):第2歴代誌36章
16節「ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。」
神の語りかけを、悔い改めへの招きを、蔑ろにした結果、神殿やエルサレムは壊滅し、南ユダ王国は滅びました。さばきの警告を侮った(16節)愚か者たちに倣ってはなりません。信仰者の悔い改めは、いつかでなく、語りかけられたらすぐに、今日、今するものです。あなたは応えないままにしている、神の語りかけはありませんか?罪を犯すことよりももっと恐ろしいのは、その罪を悔い改めずに放っておくことなのです、
「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。──神である主の御告げ──彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。」エゼキエル18章23節
7月28日(木)エズラ記1章
1節「ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた主のことばを実現するために、主はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。」
神は御心のままに、当時の世界の王(ペルシャがバビロニアを倒したのです。)の心すら動かします。すべての人の心は神が握っておられるのです。あの人は変わらない、あの人は応えてくれない、そう諦めていませんか?もう一度神に信頼して、あなたの家族、友人、同僚、大切な人のために、とりなしの祈りを始めてみて下さい。
「 王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。」箴言21章1節
7月29日(金)エズラ記2章
62節「これらの人々は、自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。」
祭司の家系の一部の人達は、バビロンにいる間に、自分たちの系図が分からなくなりました。自分達のアイデンティティを忘れ去った人達に神への奉仕は出来ません。ところで私達は神の救い、神の召しを、いつも覚えていますか?自分が何者か、なんのために生きているか、日々の忙しさの中で忘れてしまってはいないでしょうか?思い返し、胸に刻み、恵みに応えて一日を歩みましょう。
「 あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」第1ペテロ2章9節
7月30日(土)エズラ記3章
12節「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。」
神殿は再建されましたが、最初のソロモン王の建てた神殿とは比べ物にならない小ささに、老人たちは嘆き悲しみます。恥ずかしい現状、見栄えしない小さな礎、しかしそこから国の再興が、神の民の回復が始まりました。状況が悪い時はしっかりと泣きましょう。そして、涙が枯れたら神を見上げればよいのです。
「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」詩篇30篇5節
7月31日(日)エズラ記4章
4節「すると、その地の民は、建てさせまいとして、ユダの民の気力を失わせ、彼らをおどした。」
いつの時代にも神の国を妨げようと、陰謀を計る輩はいます。どうか気力を失わず、決してあなたの働きを諦めないでください。神様がエズラ達を助け支えてくださったように、あなたにも必ず神が助けと報いとをくださいます。あなたは「神の国とその義とをまず第一に求め」(マタイ6:33)続けてください。
「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。エペソ4章12〜13節
