おざく台教会毎日の聖書7月18日〜
おざく台教会毎日の聖書 7月18日~
1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
7月18日(月)第2歴代誌27章
6節「このように、ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」
ヨタムは成功しても父のような高慢さ(26:16)には陥りませんでした。ヨタムは自分の道を、自分で見て満足するのでなく、人の前に見せるのでもなく、主の前に確かなものとしました。
あなたは誰に見てもらおうと毎日を生きていますか?隠れたところでしっかりと見ていてくださる神様に向けて、今日一日を生きてみて下さい。
「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。の施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」マタイ6章3〜4節
7月19日(火)第2歴代誌28章
10節「今、あなたがたはユダとエルサレムの人々を従えて自分たちの男女の奴隷にしようとしている。しかし、実はあなたがた自身にも、あなたがたの神、主に対して罪過があるのではないか。」
神の前に自分の罪を示された北イスラエル王国は、攻撃の手を止め、従順するしかありませんでした。あなたが誰かを必要以上に責めてしまう時、それは神の前での自分の罪を分かっていない、のかもしれません。
誰かを必要以上に恨み責めてしまうなら、自分の意見を神の心と同一視してしまうなら、一旦落ち着いて、十字架を見上げ、あなたの身代わりに死なれたキリストに心を向けてみて下さい。
「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」第一ペテロ3章18節
7月20日(水):第2歴代誌29章
5節「彼らに言った。「レビ人たち。聞きなさい。今、あなたがたは自分自身を聖別しなさい。あなたがたの父祖の神、主の宮を聖別し、聖所から忌まわしいものを出してしまいなさい」
私たちは「神の宮」(第2コリント6:16)であり、私たちの心は神が住んでくださる「聖所」なのです。ではその中はどうでしょうか?聖別が、忌まわしいものを出してしまう大掃除が必要なのではないでしょうか?3~19節を自分自身をに重ねもう一度ゆっくり読んでみてください。そして神の言葉に応答してみて下さい。
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」第一コリント6章19節
7月21日(木)第2歴代誌30章
8節「今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。主に服従しなさい。主がとこしえに聖別された聖所に入り、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。」
「項の強い者」、つまり神に頭を垂れることを頑なに拒む者のことです。神と人との前に謙遜に身を低くするどころか、むしろふんぞり返り胸を張るような私達。しかし、ふんぞり返った姿勢では、神と人とに仕えることは出来ません。
悔い改めとは、神の前に謙ることでもあります。人を愛し仕えることに失敗する度に、神に頭を垂れるところからやり直すのです。
「 高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。」箴言11章2節
7月22日(金)第2歴代誌31章
21節「彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。」
私たちの毎日に、神と関係の無いことは一つもありません。私たちはすべてのわざを、神に求め、心を尽くして、神の愛と憐れみを現すために行うのです。今日一日、21節を意識し過ごしてみてください。
「 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」第1コリント10章31節
7月23日(土)第2歴代誌32章
25節「ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。」
ある人は寝る前に5つ、その日の恵みを数え、感謝の祈りを捧げているそうです。恵みを数えることで、私たちの内側には感謝の心が生まれ、私たちの歩みは変えられていきます。今日時間を取って、恵みを数え、感謝の祈りを捧げてみてください。
「しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。」詩篇59篇16節
7月24日(日)第2歴代誌33章
12節「しかし、悩みを身に受けたとき、彼はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大いにへりくだって、」
国を堕落させた最悪の王マナセ。しかし、神はマナセのへりくだりを受け入れ応えられました。へりくだりの先には赦しと回復があります。人間的には惨めで情けないへりくだりの道、しかしそれはいのちへと続く道です。
「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」第1ペテロ5章6節
