毎日の聖書2月14日~20日

おざく台教会毎日の聖書 2月14日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

2月14日(月)第一サムエル記18章

23節「それでサウルの家来たちは、このことばをダビデの耳に入れた。するとダビデは言った。『王の婿になるのがたやすいことだと思っているのか。私は貧しく、身分の低い者だ。』」

初期のダビデは、その活躍ぶりにもかかわらず、神の前に、そして人の前に、謙遜でした。神様はへりくだる者ダビデをこそ高くされたのです。私達は、神と人との前で、心も身体も、低く歩めますように。私達の主イエス・キリストは、誰よりも低くなられた方なのですから。

 

「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。」ヤコブ4章10節

 

2月15日(火)第一サムエル記19章

9節「わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。サウルは自分の家にすわっており、その手には槍を持っていた。ダビデは琴を手にしてひいていた。」

16章や18章に続き、神の送られた霊がサウルを悩ませます。神はわざわいをも用いても、イスラエルに変化をもたらそうとしていました。迫害を通して福音が広範囲に広がったり、十字架を通して人々の罪が贖われたりと、私達人間の目には“悪い”ように見える出来事の背後にも神のご計画がありました。あなたに起きた“悪い”出来事の背後にもまた、神のご計画があるのかもしれません。

 

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29章11節

 

2月16日(水)第一サムエル記20章

17節「ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。」

ヨナタンのような友人はいますか?立場を越えてあなたを愛し、全てを差し出し、命を懸ける契約を結ぶ人。私には一人だけいます。主イエスです。主イエスはヨナタン以上に命がけであなたを愛し、すべてを投げ出しあなたを救った、あなたの唯一無二の友です。あなたは決して一人ではないのです。

 

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15章13節

 

2月17日(木)第一サムエル記21章

13節「それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。」

ダビデは「非常に恐れて」(12節)いましたが、神様の守りにより危機を乗り越えました。ダビデはこの時の救いの喜びを詩編34篇で歌っています。ダビデの優れたところは、神への感謝を忘れず、恵みを数えながら、神様への信頼を積み重ねていったところです。あなたは今までどのように神様の守りを体験しましたか?詩編34篇を読みつつ、思い返してみてください。

 

「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」詩篇34篇8節

 

2月18日(金)Ⅰサムエル記22章

23節「私といっしょにいなさい。恐れることはない。私のいのちをねらう者は、あなたのいのちをねらう。しかし私といっしょにいれば、あなたは安全だ。」

いのちからがら逃れてきたエブヤタルに、ダビデは語りかけます。ダビデは神の守りと祝福を確信していたのです。私達のそばにはダビデはいませんが、同じように語りかけてくださる方、イエス・キリストがいます。危機の時、恐れを感じる時、祈りによって神のもとに身を避けてください。必ず神が守ってくださいます。

 

「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。」詩篇18篇2節

 

2月19日(土)Ⅰサムエル記23章

14節「ダビデは荒野や要害に宿ったり、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった。」

ダビデには逃避行のあいだ、数々の苦労がありました。けれど、神は、王の軍隊や多くの密告者からダビデを守り抜きました。あなたにも数々の苦労があるでしょうが、神はあなたを悪魔の手から守り抜く方です。倒れないよう支え、迷わないよう導く方です。今日も神の守りがあなたにあるのです。

 

「まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。」詩篇91篇11節

 

2月20日(日)Ⅰサムエル記24章

6節「彼は部下に言った。『私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。』」

この一言は、自分中心ではなく、神中心というダビデの信仰を表現しています。自分の命がかかっている状況でさえ、自分の都合より神の定めを優先させているのには驚かされます。

私にとって世界の中心は自分ですが、その自分には罪が宿っているため、自分中心の視点だけでは、時に人にとって祝福どころか呪いとなってしまうことも、知っています。ですから、自分は大切にしつつも、神中心の視点も持っていたいのです。神様ならどう見るだろうか、イエス様ならどうなさるだろうか、いつも問いかけていてください。

 

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──主の御告げ── 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」イザヤ書55章8~9節

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