毎日の聖書6月16日〜

く台教会毎日の聖書 6月16日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

6月16日(月)第一サムエル記5章

9節「それがガテに移されて後、主の手はこの町に下り、非常な大恐慌を引き起こし、この町の人々を、上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。」

敵であるペリシテ人が大打撃を受けますが、イスラエルの民はまったく登場しません。神が自らの手でなさったのです。究極的には神は私たちの力を必要となさいません。

しかし同時に、神は弱く失敗ばかりの私たちを用いようとしてくださる方でもあるのです。何でもできる方が、今日一日も、あなたに期待し、あなたを送り出してくださっているのです。

 

「わたしはあなたとともにいる。・・・わたしがあなたを遣わすのだ。」出エジプト記3章12節

6月17日(火)第一サムエル記6章

20節「ベテ・シェメシュの人々は言った。『だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。』」

ペリシテ人と同様かそれ以上に、イスラエル人も神を軽んじ、痛い目にあいました。私たちのうちに偉大な神への畏れはあるでしょうか?忘れてはいけません。罪に汚れた私たちが聖なる神の前に立ち得るのは、ただただ神の憐れみとキリストの十字架のゆえです。

畏れつつ、感謝しつつ、喜びをもって、日々神様の前に出ることができますように。

 

「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」へブル10章19節

6月18日(水)第一サムエル記7章

3節「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」

回復への道と、悲惨な現状の原因が明らかにされます。それは、ひたすら神を愛することと、それを妨げるものを取り除くことでした。

あなたの人生においても、もしかしたら同じような回復に向けたチャレンジを受ける時があるかもしれません。あなたにとって、主に心を向けるのを妨げる「外国の神々」は何でしょうか?

 

「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」ルカ16章13節

 

6月18日(木)Ⅰサムエル記8章

19節「それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。『いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。』

「他国のように王がいれば・・自分たちは安全で幸福な生活が出来る。」と民は考えました。しかしそれは、本当の王様である神様を退ける行為でした。そして、本当の問題は外側の状況でなく彼らの内側の不信にあり、本当の解決は彼らの神にあったのです。あなたにとっての王は誰(何)でしょうか?

 

「イスラエルの王である主、これを贖う方、万軍の主はこう仰せられる。「わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。」イザヤ44章6節

6月19日(金)Ⅰサムエル記9章

16節「あすの今ごろ、わたしはひとりの人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救うであろう。民の叫びがわたしに届いたので、わたしは自分の民を見たからだ。

叫んだのは立派で敬虔な民でなく、自分勝手で不信仰で背信を繰り返す民です。それでも神は祈りを聞かれたのです。

もしあなたの歩みが立派でなかったとしても、罪や不信仰があったとしても、神の深い憐れみに信頼し、神に叫んでください。

 

「彼がわたしに向かって叫ぶとき、わたしはそれを聞き入れる。わたしは情け深いから。」出エジプト記22章27節

6月20日(土)Ⅰサムエル記10章

1節「サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。『主が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。』」

サウルを喜ぶ人も否定する人もいましたが、神がこのサウルを選ばれたのであり、人の判断は神の判断の前には無意味でした。ところであなたも神に油を注がれた存在です。(Ⅱコリ1:21、Ⅰヨハ2:20,27)自分で自分が信じられないかもしれません、人は「あなたなんて」と言うかもしれません。けれど、神はあなたを選び、愛し、遣わすのです。あなたは誰の言葉を信じますか?

 

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」ヨハネ15章16節

6月21日(日)第一サムエル記11章

13節「しかしサウルは言った。『きょうは人を殺してはならない。きょう、主がイスラエルを救ってくださったのだから。』」

政治的判断や感情的判断をすれば、反抗した者を処罰するのが当然です。しかしサウル神へ向き、その救いを喜び、復讐にはあまり関心がないようです。救われた者は、救われたことを喜んでいる者は、その喜びが人への恨みをどこかへ追いやってしまうのです。救いを喜べば喜ぶほど、私たちは恨み呪う者から、憐れむ者へと変えられてゆくのです。

 

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」第一テサロニケ5章16~18節

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