毎日の聖書6月9日〜
おざく台教会毎日の聖書 6月9日~
1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
6月9日(月)ルツ記2章
4節「ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。『主があなたがたとともにおられますように。』彼らは、『主があなたを祝福されますように』と答えた。」
神の民の挨拶です。今日、人と会うとき、口に出さなくてもよいので、このように相手の祝福を祈ってみてください。あなたの祈りとふるまいを通し、あなたと出会う人達が祝福を受けますように。
「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」Ⅰペテロ3章9節
6月10日(火)ルツ記3章
10節「すると、ボアズは言った。『娘さん。主があなたを祝福されるように。あなたのあとからの真実は、先の真実にまさっています。あなたは貧しい者でも、富む者でも、若い男たちのあとを追わなかったからです。』」
ルツの示した態度をボアズは真実(へヘセド)と表現しました。これは旧約聖書の最重要単語。英語でCovenant Loyalty、日本語で「契約に対する忠実さ」を意味し、本来は神の人間への変わらぬ愛に用いられ、めぐみ、とも訳されます。神の真実を受け、私達の内にも、神と人への真実が生まれますように。
「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」Ⅰヨハネ3章18節
6月11日(水)ルツ記4章
13節 「こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところに入ったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。」
神は、未亡人であった異邦人ルツをボアズと出会わせ、その子孫として、ダビデが、そしてイエス・キリストが生まれました。希望を失かったと思われる彼女には、人間の想像を超える計画が備えられていたのです。同じ神様があなたにも素晴らしい計画を持っておられるのです。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8章28節
6月12日(木)Ⅰサムエル記1章
15節「ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」
あなたの心には、痛み(10節)や悩み(11節)、憂いやいらだち(16節)はありますか?それをまるごと受け止めてくださる方がいます。自分の内で煮詰まったり、人にぶつけたりせず、どうか神様の前に注ぎ出してください。
「夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。」哀歌2章19節
6月13日(金)Ⅰサムエル記2章
29節「なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住む所で軽くあしらい、またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。」
立派な祭司エリの唯一の弱点は息子達でした。神より息子達を重んじた結果、自分や周囲に損害をもたらしました。何かを大切にすることは良いことです。しかし、神より重んじた時、それが偶像となったり、私たちの歩みを狂わせたりするのです。あなたが神よりも重んじるものは何ですか?
「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」ルカ16章13節
6月14日(土)Ⅰサムエル記3章
10節「そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、『サムエル。サムエル』と呼ばれた。サムエルは、『お話しください。しもべは聞いております』と申し上げた。」
当時「主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」(1節)のに、主は少年サムエルを選び語られます。神は、地位や年齢によらず、神に耳を傾ける者と聞いて従う者とに語られます。私たちは開かれた柔らかい心で聞いていますか?今日神様に『お話しください。しもべは聞いております。』と祈りの中で申し上げてください。
「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」ヨハネ10章27節
6月15日(月)第一サムエル記4章
11節「神の箱は奪われ、エリのふたりの息子、ホフニとピネハスは死んだ。」
イスラエルの歴史を見ると、危機の時には敵陣に疫病や災害が起こり、何度も救われていました。だから、神の箱(主の契約の箱)さえ担ぎ出せば、奇跡が起き、自分たちは勝つ、そう考えたのでしょう。しかし今、闘いには敗れ、自らの側に疫病が起こったのです。普段神を軽んじながら、都合の良い時だけ利用しようとする、それが神の民であり、私たち人間です。
この敗戦は手痛い経験ですが、それ以降しばらくは、人々は神への態度を改めました。困難や苦しみは直面したいものではありませんが、それは、自身の内側の問題に気付くための、貴重な機会になるのかもしれません。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」詩篇119篇71節
