毎日の聖書2月23日〜
おざく台教会毎日の聖書 2月23日~
1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
2月23日(月)詩篇16篇
8~9節「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」
ある船乗りはキリストを船の錨(いかり)にたとえました。嵐の時、潮に流されそうになる時、船乗りの努力ではどうにもならないことがあります。しかり錨は、どのような状況でも船を確かな場所につなぎとめてくれます。嵐で揺るがされそうな時こそ、キリストに心を向けてみてください。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
2月24日(火)詩篇17篇
6節「神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。」
祈りの対する神の応えには、1.「その通りにしよう」、2.「そうはしないが、別の応えをしよう」、そして3.「わたしの時に応えよう」があると聞きました(例:ダニエル10章)。しかし、確かなのは、神様は確かにあなたの祈りに耳を傾け、ご自身の時、ご自身の方法で応えてくださるということです。
「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。」(ダニエル10:12)
2月25日(水)詩篇18篇
27~28節「あなたは、悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされます。あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます。」
苦しいこと、辛いことは、ないほうが幸せに決まっています。しかし、苦難に良い面があるとしたら、それは私達を謙遜にすることかもしれません。大きくされた時、人は神に対して盲目になり、小さくされた時、人は心から神を見上げるからです。そこには、本当の幸いがあるのです。
「よろこびが集まったよりも、悲しみが集まった方が、しあわせが近いような気がする。強いものが集まったよりも、弱いものが集まった方が、真実に近いような気がする。しあわせが集まったよりも、ふしあわせが集まった方が、愛に近いような気がする。」(星野富弘)
「あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」(ヤコブ4:9~10)
2月26日(木)詩篇19篇
1節「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。」
この自然世界は、神様の素晴らしさを私達に教えてくれます。自然に神が宿るのでなく、自然が神の芸術作品なのです。太陽の熱さ、嵐、雷の前に人は無力であり、大空の美しさに人の心は驚き震えます。身をかがめれば、足元の草花の造形の巧みさは息をのむほどです。今日外に出て、被造世界をゆっくりと見つめ、神様の偉大さに思いを巡らせてみてください。そして、忘れないでください。あなた自身も神様の素晴らしく、美しく、尊い、最高傑作です。
「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」(創世記1:31)
2月27日(金)詩篇20篇
7節「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」
人はその誇るもので自分の心を支えます。学歴、才能、容姿、功績、財産、所有物など。国を誇ろうという考えもあります。それらは良いものですが、永遠ではなく、支えや土台にはなりえません。世界の創造主が、私を造り、生かし、愛し、死んでくださった。これほど誇らしいことはあるでしょうか?
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)
2月28日(土)詩篇21篇
1節「主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。」
王であるダビデの賛歌です。私達は王様ではありませんが、王のように自分の人生や周囲に対しての霊的な責任があります。自身が神としっかりと結びつき、受けた祝福を流すという役目があります。神の存在と与えられた救いを喜ぶことが私たちの力です。あなたの心や霊性を大切にし、魂を充電する一日としてみてください。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」(詩篇103:2~5)
2月29日(日)詩篇22篇
11節「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。」
人類の歴史の中で多くの人がこう叫んできたことでしょう。しかし、本当の意味で神に見捨てられた人は一人もいません。ただ一人、十字架で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」(「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」)と叫ばれたイエス・キリストをのぞいては。ある学者は述べました、「キリストへのNOは、世界へのYESである。」私達は誰一人紙に見捨てられていないのです。
「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)
