12月29日のメッセージ

2024年12月29日『恵みによってふりかえる』 ルカの福音書2章

IMG_20241229_085903230_AE

6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。・・・

 

19 しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。

20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

<自分を、過去を、とらえなおす>

2024年はどのような年でしたか?みなさんも生活の中でも、様々なことがあったでしょう。この1年間を、この数年間を、みなさんはどう振り返るでしょうか?良いことは、是非ゆっくりとその恵みを覚え、感謝の祈りをしてほしい。では苦々しい出来事はどうでしょうか。

振り返ることに関して、とても興味深い文章があります。日本でも300万部を超えるベストセラーとなった『嫌われる勇気』というアドラー心理学に関する書籍があり、その続編『幸せになる勇気』の中です。「過去が「いま」を決めているのではありません。あなたの「いま」が過去を決めているのです。」(本文)

 

過去が今に影響を与えているのではなく、あなたの過去を、現在のあなたが、あなた自身の目的に沿って決めている、というのです。現在に不満があり、それを過去のせいにしたい人は、過去を否定的なものとしてだけとらえてしまう。けれど、現在の状態が良かったり、その人の内に希望があれば、その過去が人間的には難しい体験であったとしても、それをある程度まで肯定できたり、そこにも意味を見出したりできる、といった内容でした。

不勉強なため少々極端に感じてしまうのですが、アドラーほど強く断言できなくても、今の私達の状態によって、自分自身をどう見ているかによって、過去の出来事の捉え方が変わってくる、という点は確かにあると思います。

 

真珠の出来方をご存知ですか。(天然真珠は、真珠貝に異物が入ることによって造られます。異物は、真珠貝を傷つけ、弱らせ、苦しめることも出来ますが、貝殻の成分で覆われると、美しい宝石となります。)今年一年の出来事を、また過去の出来事を、私達が適切なタイミングでもう一度正しく取り扱うことは、私達自身にとって、私達の周りの人にとって、とても大切なこと、私達への宿題でもあるのです。(今年のノーベル文学賞は、韓国人女性の、ハン・ガンさんでした。「すべての白いものたちの」「少年が来る」「別れを告げない」などの代表作は、自分の、歴史の、過去を思い返し、向き合う内容でした。村上春樹さんの「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」も重なる内容です。)

 

<神の視点で自分を見た羊飼い>

今日の箇所の登場人物である、羊飼い、ヨセフとマリアの貧しい夫婦、彼らに共通しているのは、自分自身も、自分の過去も、否定的に見ていた人たちです。

今日のような職業選択の自由がない時代、羊飼いは生まれた時からその運命が決まっていました。辛く厳しい仕事に加え、宗教規則を守れず社会から「地の民」という俗称で見下され、裁判で証言をするといった基本的人権もない・・・社会の最下層にいました。

また、ヨセフ・マリア夫婦は、属国の、田舎の、貧しい家庭に生まれます。結婚前に母となったため、親族や友人から拒絶され、馬小屋で出産する羽目になりました。

 

どちらも、自分の生まれや、状況への失望ばかりだったでしょう。どうしてこんな風に生まれたのか。どうしてこんな状況になったのか。どうしてこんな自分なのか。羊飼いや、家畜小屋のヨセフ・マリア夫婦の姿は、私達の姿でもあるかもしれません。

 

ところが、彼らの自分自身への捉え方を変える出来事がおきました。その羊飼いに、天使が会いに来たのです。王様でもなく、宗教家でもなく、暖かな家族でもなく、羊飼いに。世界で一番最初にキリストに出会うように神が選んだのは、この羊飼いだったのです。

神が自分に出会いに来てくれた。その事実は、彼らの自分自身への捉え方を変えました。神に見捨てられたのでなく、神が誰よりも愛してくれた者として、神に呪われた「地の民」ではなく、神に愛された「天の民」として、自分自身を、捉えなおしたのです。そして、言葉を信頼されないはずの彼らが、そんなことも気にせずベツレヘム人々にその知らせを伝えたのです(17〜18節)。もう今までの彼らではありませんでした。

人から疎まれた羊飼いだからこそ、小さなものをことさら愛してくださる神様が最初に会いに来てくれた。もっとも底辺にいて苦しんだ羊飼いだからこそ、最も低いところに生まれた苦しみの道を歩まれた救い主に最初に出会うことが出来た。今までは呪いとしか思えなかった自分の生まれも、状況も、キリストに出会うことにつながったのだから、決して無駄ではなかったと捉えなおしたのです。

 

1年間の終わりにクリスマスがあること、キリストを知って新しい一年を迎えられることを嬉しく思います。 どれほど難しく痛ましい出来事があった一年だったとしても、自尊心や自己肯定感がどれだけ傷ついていたとしても、たとえ今暗闇の中を通っている最中だとしても・・・クリスマスは教えてくれるからです。

私達が何も持たない者ではなく、キリストという救いを得ていることを。

私達が嫌われ者ではなく愛されたものだということを。

私達が孤独でも孤立でもなく、神がどんな時も共にいてくださることを。

 

弱り果てた暗くなった心が、神様のめぐみで照らされ、支えられるなら、大変なことばかりにも思える1年の中にも、ちゃんと恵みがあったことに目が留まり、困難な出来事も神様の視点でとらえることが出来るかもしれません。そのうえで、新しい一年を、新しい一日一日を歩みたいのです。

 

<今の状況をとらえなおす~いつか意味が分かると信じて~>

今現在、大きな困難にある人、試練の中にある人もいるでしょう。今はその状況への対処で精一杯だったり、肯定的に捉える余裕なんてないかもしれません。

マリアやヨセフはまさにそうだったでしょう。ベツレヘムの人々から拒まれ馬小屋で出産し、この後はヘロデ王に狙われてエジプトまで亡命するのですから・・・・けれども、目の前の状況に絶望するしかない彼らに、羊飼いを通して届けられた知らせは、神様は決して見捨てていないのだ、自分たちの今の悲しみには、神様の大きな意味があるのだということを教え、その心を励ましたのだと思います。

 

聖書には、一見難しいことにも、意味があると教えてくれる箇所が多くあります。神様はこれから(バビロン捕囚という)苦難に遭う人々に語りました。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29:11

 

今はわからない、でもいつか分かる日が来る、そう信じ、ユダヤ人はこのように歌いました。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」詩編119:71

マリア達も、羊飼いや博士の言葉を通して、拒絶や危険の度に、この苦しみにも神様の愛と計画が確かにあるのだと、思い返しながら歩んだのです。今はすぐに「答え」はでない。けれど、神様の愛を受け止めながら、「応えて」いったのです。

 

<羊飼いの幸せ、私達の幸せ>

確かにアドラーの言う通り、今の私達が過去を決めているという面もあるかもしれません・・・・

そうだとしたら、神を知る者は幸いだと思います。人生で出会うべき最も大切な方、キリストと出会っているのですから、人生で必ず得るべき救いを、永遠のいのちをすでに得ているのですから。

苦しみの中にあっても、やがて天に帰る日も、もちろん恐れや不安はありつつも、私はキリストを得たのだという満足があり、神が共にいる安心があり、永遠のいのちという希望があるのです。キリストと結びついているなら、苦しむことはあっても、決して否定的なものに支配されず、神の愛に支配されて歩めるのです。

 

<今週の黙想・年末の黙想>

・ヨハネ1章1~18節を読み、クリスマスに私達に与えられた恵みに心を巡らせてみてください。

・心が落ち着いたら、1年間の恵みをゆっくりと数え、感謝の祈りを捧げてみてください。

Top