毎日の聖書12月23日〜

おざく台教会毎日の聖書 12月23日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

12月23日(月)出エジプト記16章

4節「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。」

神は民を荒野へ導き、エジプトが与える食物でない、ご自身の食物マナをお与えになりました。私達も罪の与える楽しみでなく、「わたしがいのちのパンです。」(ヨハネ6:35)と言われた新しいマナ、キリストにより日々生かされ養われるのです。

魂が飢えてはいませんか?違う何かで、満たそうとしていませんか?キリストによる心の満たしを祈り求める一日としてみてください。

 

「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」ヨハネ6章35節

12月24日(火)出エジプト記17章

11節「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」

手を上げる、とは祈りを表します。祈っている間は優勢なり、祈りの手を下ろすと劣勢になりました。戦略や武力よりも祈りが意味を持ちました。それは7節で「主がわたしたちのうちにおられるのか、おられないのか」と言って神を試みた人々への目に見える回答でもありました。私たちの信仰の確信は、困難や困窮に直面すると簡単に揺らぎます。そんな時こそ、神様に祈ってみてください。神様は必ず応えてくださいます。

 

「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。」ヤコブ5章13節

12月25日(水)出エジプト記18章

8節「モーセはしゅうとに、主がイスラエルのために、パロとエジプトとになさったすべてのこと、途中で彼らに降りかかったすべての困難、また主が彼らを救い出された次第を語った。」

困難ばかりに目がいく私達ですが、その困難から救い出す神にこそ目を向けたいのです。「からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら・・」(ルカ11:34)とあるように私達の心や霊の健全さは、何に目を向けているかにかかっているのです。

 

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」ヘブル12章2節

12月26日(木)出エジプト記19章

17節「モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。」

神は恵み深い方でありながらも聖く偉大な方で、罪の汚れを持つ人間が近づくことは命に関わることでした。しかし、私たち自身の立派さによって神の前に立つのではなく、私たち自身の罪深さによって神の前に立てないのでもなく、「私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。」(エペソ3:12)今日キリストを通して、大胆に神に出会ってください。

 

「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」第一コリント5章18節

12月27(金)出エジプト記20章

2節「わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。」

十戒は、神の救いの宣言から始まります。神の命令は救われる条件でなく、救われた者の新しい生き方です。救いが、恵みが、いつもあなたの前を先立っているのです。私達はこれから救われるためにではなく、すでに救われたからこそ、大きな愛と恵みに応え、神に喜んで従うのです。

 

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」エペソ2章8~10節

12月28日(土)出エジプト記21章

14節「人が、ほしいままに隣人を襲い、策略をめぐらして殺した場合、この者を、わたしの祭壇のところからでも連れ出して殺さなければならない。」

律法の端々に神の様々な配慮が見られる一方、厳しい言葉も語られます。それらの罪はあなた自身だけでなく、隣人を、共同体を破滅へと導く罪だからです。あなたは、神の民として、隣人と、信仰共同体と、深く強く結ばれているのです。同じ神様を信じる人の守りと祝福を祈る時を持ってください。

 

「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。 ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」ヤコブ5章15~16節

12月29日(日)出エジプト記22章

23節「彼らがわたしに向かって切に叫ぶなら、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。」

貧しい人、病む人、未亡人、孤児、神はいつも立場の弱い者たちの側に立たれます。あなたの周りで立場が弱く、苦しんでいる人はいませんか?神は彼らの叫びを聞かれます。あなたはその叫びを聞いているでしょうか?あなたもその叫びを聞き、何か一つ、出来ることを探してみてください。

 

「このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」使徒20章35節

 

Top