毎日の聖書10月28日〜

おざく台教会毎日の聖書 10月28日~

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

10月28日(月)創世記10章

10節「彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。」

呪われたハムの子孫(8:22~27)は、権力を持ち、自分達の好む王国を作ります。それこそが私たち人間の罪の性質でしょう。人は神の王国(恵みによる支配の中)にいてこそ幸いなのです。最悪の悲劇とは、神から「ご自由に」「ご勝手に」と言われること(ローマ1:24~28)、と聞いたことがあります。教会は、神の語りかけを負担や束縛と感じる時はありますか?けれどそれはあなたの幸いを願う愛ゆえなのです。あなたの一日に、瞬間瞬間の決断に、神の支配を受け入れ、御心を求める、それが私達の務めです。

 

「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く。」イザヤ30章21節

10月29日(火)創世記11章

4節「そのうちに彼らは言うようになった。『さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。』」

バベルの塔の問題は、高慢さもありますが、何より深刻なのは、御心の実現のため地に満ちよ(9:1)と言われた神の言葉への不従順です。あなたも自分の塔を建て、自分の王国にしがみついていませんか?それはあなたへの神の良いご計画に背くことにつながることもあるのです。あなたへの神の願いとは何か、もう一度考えてみてください。

 

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29章11節

10月30日(水)創世記12章

2~3節「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

ガラテヤ3章でパウロが語る通り、祝福とは神との関係であり、キリストを通して私達にもたらされました。そして、あなたもまた周囲の人に祝福をもたらすのです。神はアブラハムに誓い、そしてわたし達にも誓ってくださるのです。「地上のずべての民族は、あなたによって祝福される。」と。

 

「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」Ⅰペテロ3章9節

 

10月31日(木)創世記13章

14節「主はアブラムに仰せられた。『さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。』」

エジプトでの嘘やロトとのすれ違いの中でも、神はアブラハムを助け、何度も約束し、アブラハムも神を礼拝します。あなたの毎日にも困難や問題はあるでしょう。しかし、神はいつも共にいて助けてくださいます。「さあ、目を上げて」あなたの遣わされた地に今日も歩み出してください。

 

「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。・・・ 主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」申命記3章6,8節

11月1日(金)創世記14章

20節「あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」

13~16節はアブラハムの武勇伝・・ではなくその背後で働かれる神の御業でした。神はわたし達に関わり、今も生きて働いてくださる方です。今日一日あなたの前にどのような問題があったとしても、神はあなたの先に立ち、助け、支え、切り拓き、導かれます。

 

「あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あなたがたのために戦われるのだ。」申命記1章30節

11月2日(土)創世記15章

17~18節「日は沈み、暗やみになったとき、そのとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれたものの間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。」

古代は契約を結ぶ両者が切り裂かれた物の間を(契約を破れば命はないという意味)通り過ぎましたが、ここでは神だけが通り過ぎ、一方的な恵みの契約であることを表します。あなたへの約束は、あなたの努力や犠牲ではなく、ただ神ご自身の誠実さによって必ず成し遂げられるのです。

 

「エルサレムから、残りの者が出て来、シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。万軍の主の熱心がこれをする。」イザヤ37:32

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」Ⅱテモテ2章13節

11月3日(日)創世記16章

11節「さらに、主の使いは彼女に言った。『見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。』」

伝承ではハガルの子イシュマエルがアラブ系の祖となったとされています。この民族は歴史を通しキリスト教徒との戦争や迫害の対象ともなりましたが、ここや21章では神様は、確かにこの母子を顧みています。わたし達信仰者は、自分とは違う人と敵対したり、低く見たりする時はありませんか?バベルの塔で神が様々な言葉を与えられたように、ペンテコステで様々な言語で良い知らせが語られたように、違いとは神の意図された豊かさです。神はあなたとは違う存在を、あなたと同じように愛しているのです。

 

「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。』」黙示録7章9~10節

 

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