毎日の聖書9月2日〜
おざく台教会毎日の聖書 9月2日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
9月2日(月)ヘブル人への手紙 10章
10節「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」
ヘブルの著者が繰り返し警告しているのは、失敗や過ちでなく、十字架を不十分とし、自分の努力や敬虔さで救われようとすることです。ただの一度であなたを完全に救ったのは、キリストの十字架です。
9月3日(火)ヘブル人への手紙 11章
8節「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しをうけたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」
信仰とは、確固たる信念でも、宗教的信条への同意でもなく、揺るがない神に信頼し、不確かな毎日へと歩み出すことです。信仰とは、安定を求める内向きな私たちを不安定な外の世界へと押し出し、そこで神の子として歩ませます。信仰によって、あなたは今日をどう生きますか?
9月4日(水)ヘブル人への手紙 12章
2節「信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
信仰とは、大小でなく対象が大切、と言われます。問題に圧倒される時、心がかき乱される時、問題でも自分の内面でもなく、信仰の完成者であるキリストに目を向けてください。
9月5日(木)ヘブル人への手紙 13章
5節「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
これはキリストの私達への誓いです。私達は誤魔化したり、不誠実であったりしますが、キリストは誓いを曲げることは有りません。
私達がどれだけ失敗しても、揺らいでも、気持ちが変わっても、キリストの私達への想いと誠実とは決して変わらないのです。
9月6日(金)ヤコブの手紙 1章
27節「父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。」
キリストとの豊かな関係は、私達の内側に解決をもたらすだけでは終わらず、必ず他者への愛の行為として外側へ流れ出ます。今日、神様はあなたを通して誰をどのように愛そうとしておられますか?
9月7日(土)ヤコブの手紙 2章
16節「あなたがたのうちだれかが、その人たちに、『安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい』と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。」
私達が教会で用いる、信仰、愛、福音などの言葉は、単なる概念ではなく、私達の手や身体で表され、汗や涙や血を伴って必要を抱えた人に差し出されるべきものです。マザーテレサは言いました。「愛は動詞です」と。
9月8日(日)ヤコブの手紙 3章
9〜10節「 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。」
今日一日、あなたの口から出る言葉を大切にしてみてください。丁寧にゆっくりと祈りつつ言葉を発してみてください。今日一日のあなたの言葉が、神をたたえ、人を励まし、共同体を建て上げるものでありますように。