毎日の聖書6月17日〜

おざく台教会毎日の聖書 6月17日~

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

6月17日(月)コリント人への手紙第一4章
3節「私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。」

もちろん人からの評価は大切です。他者の言葉により、自分自身を知ることもできます。しかし、他者からどう見られるか、それを気にし過ぎるあまり、不自由になってはいませんか?神があなたをどう見ておられるか、それを大切に歩む一日としてください。あなたは神の目に、尊い、大切な方です。

6月18日(火)コリント人への手紙第一5章
9〜10節「私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。 それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。」

「この世は」とか、「ノンクリスチャンは・・」と言った言葉を用い、「教会」に関することは常に良く正しう、日常のことは罪深く劣っている・・・・、そんな単純な霊肉二元論で世界を見ていませんか?もちろん、この世界には、罪の影響も受けてはいますが、神が心を込めて素晴らしく造ってくださった世界でもあるのです。

キリストは単純な見方をせず、この世界に飛び込み、「罪人」と呼ばれた私達を愛されました。先に神と出会った者として、罪は罪として避けつつも、謙遜と敬意をもって、この世界に、他の人々に関わってください。

6月19日(水)コリント人への手紙第一6章
12節「 すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。。」

私達は神の子とされ、神を愛し仕える者とされました。有る意味で、まことの神以外のすべての権威や支配から自由にされました。

一方で、宗教改革者ルターは著書「キリスト者の自由」で、本当の王であるキリストを信じた私達は、何にも支配されないが、自ら喜んで人々に仕えしもべとなる自由がある、と教えます。そのような自由とは、私達の主である、イエス・キリストが、悲しむ人や、虐げられた人に仕えた姿を思い起こさせます。私達が進んで他の人のしもべとなる一日でありますように。

6月20(木)コリント人への手紙第一7章
7節「私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。」

パウロの生き方は、確かに見本となる素晴らしいものでした。しかし、その精神は大切にしつつも、それぞれの場所に、それぞれの賜物と使命とを与えて、私達を置かれました。

イエス様は、宗教家、女性、病の人、取税人、ひとりひとりに合わせてそれぞれに関わりました。神様の関わり方は、十人十色、一人ひとり違うオーダーメイドの関わり方なのです。今日、あなただけに向けた語りかけを、耳を、心を澄ませ、聞いてみてください。

6月21日(金)コリント人への手紙第一8章

1〜3節「1 次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。 人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」

コリント教会は、自らの欲望や虚栄心から、高慢になり、他者を攻撃し裁き合う教会でした。以来、歴史の教会は今日まで、同じ誤りを繰り返し続けています。けれど、ある時、教会は幾多の失敗を通して学び一つの標語が生まれます。In essentials Unity, In non-essentials liberty and In everything Charity!(本質的なことに一致を、非本質的なことに自由を、全てのことに愛を!)私たちの行動基準は愛です。

6月22日(土)コリント人への手紙第一9章

24〜25節「 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」

これは救いは努力や結果によって得られる、という意味ではありません。パウロは高慢と不品行に満ちたコリント教会に、神の子としてふさわしく生きるようにと、軌道修正を、変革を求めたのです。そして、コリント教会は変わりました。私達も、キリストの恵みゆえに今からでも変われるのです。

6月23日(日)コリント人への手紙第一10章

31節「あなたがたは食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」

前後を読めば「神の栄光」とは宗教行為や戒律的な生き方でなく、思いやりと謙遜をもって生活することでこそ現されると分かります。

私達は、誰かが熱心に宗教行為をしているところではなく、愛や寛容を表すところにこそ、神の愛や素晴らしさを感じるのではないでしょうか?私達の愛とへりくだりに、私達の日々の歩みに、神の栄光が現れるのです。

 

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