毎日の聖書2月12日〜

おざく台教会毎日の聖書 2月12日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

2月12日(月)マタイ書1章  

20節「二人か三人が、わたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」

 キリストは祈りの場に共にいてくださいます。コロナなどをきっかけに、私達は以前のように集まることが以前よりは難しくなりました。しかし、キリストは小さな群れとも共にいてくださるのです。ですから自分を飾らず、弱さや必要も正直に話して良いのです。私たちは互いのために「心を一つにして祈」(19節)りたいのです。

2月13日(火)マタイ書1

14節「子どもたち・・・わたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちのなのです。」

 人々は自分の立派さによって神の国に入ろうとしました。一方、こども達はただ恵みを受け取りました。神は、あなたの業績や力や知識ではなく、あなた自身を求め招いているのです。

 明日の「灰の水曜日」は受難節の始まりの日であり、復活祭は3月31日です。天の御国が約束され

その前味を日々味わっている私たちです。キリストの御苦しみに、神の恵み深さに、心を向ける期間となりますように。

 

2月14日(水)マタイ書20

15節「私が気前がいいのであなたの目にはねたましく思われるのですか。

 天の父は気前のよい方です。悪人を赦し、罪人を受け入れ、私達の敵や憎む者を愛してしまうのです。天の父のあまりの気前のよさに私達の心が苛立つときもあるでしょう。けれどそんな時には思い返してください。父の気前のよさにより、キリストが十字架にかかり、私達が救われたことを。今日から受難節です。キリストに思いを向ける40日間となりますように。

 

 

2月15日(木)マタイ書21

27節「わたしも・・・あなたがたに言いません。」

 すでに示された真理に忠実でないなら、応えていないなら、新たな真理は示されない、この箇所からそんな趣旨の説教を聞きました。(足し算や引き算が身についていない小さなこどもに、掛け算や割り算を教えないのと似ているかもしれません。)

 イエスに語られつつも、目と耳を背けていることはありませんか?もう一度向き合ってはみませんか?それが成熟への鍵かもしれません。

 

2月16日(金)マタイ書22

9節「出会った人をみな披露宴に招きなさい」

 神の国には、全ての国籍、民族、言語、立場、宗教の人が、つまり世界中の人が神様へと招かれています。

 では私達はこの気前の良い神様の命令に従って、人々を招いているでしょうか?また、礼拝は披露宴や宴会に例えられる喜びに満ちているでしょうか?祈り、行動してみてください。

 

 

2月1日(土)マタイ書23

11節「あなたがたのうちで一番偉いものは皆に仕える者になりなさい。」

 キリストは神でありながら、この世界に下り、虐げられた人達に仕え、罪の身代わりに十字架で死なれました。キリストを信じる者は、この御姿に従うのです。あなたは今日誰に、どのように仕えましょうか?

2月1日(日)マタイ24

42節「ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、自分の主が、いつ来られるか知らないからです。

 宗教改革者ルターは、「キリストが、昨日十字架にかかり、今日復活し、明日再び来られるかのように生活しなさい。」と言いました。明日キリストが来られるなら、あなたの今日はどう変わりますか?

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