毎日の聖書7月22日〜
おざく台教会毎日の聖書 7月22日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
7月22日(月)エペソ人への手紙4章
22〜24節「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、 またあなたがたが心の霊において新しくされ、 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」
「救い」とは、ただ「天国に入る」ことだけを意味しません。わたし達の内側が、心が、歩みが、新しくされ、キリストに似せられていくこと(キリスト教用語で聖化)をも意味します。
あなたは、どのような面で、変えられたいと願っていますか?どのような点で、キリストに似せられたいと願っていますか?
それは神の願いであり、神は喜んで助けてくださいます。祈り求めてみてください。
7月23日(火)エペソ人への手紙5章
8〜11節「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。 —光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです— そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。」
パウロは信仰者を指して、光、だと、光の子ども、だと言います。私達のことを、闇とは関係のない、どこに出しても恥ずかしくない、周囲を照らす存在だと言うのです。
自分に失望することがあるかもしれません。でも、どうか自分を諦めないでください。神はあなたを信じ、あなたに期待しておられます。自分を信じ、神の期待に応えてみてください。
7月24日(水)エペソ人への手紙6章
13〜17節「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、 足には平和の福音の備えをはきなさい。 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」
様々な誘惑、迫害、攻撃、困難、それらに翻弄される日もあるかもしれません。だからこそ、真理を、正義を、平和の福音を、信仰を、救いを、神のことばを、身につけて対抗するのです。神はあなたが倒れないように、必要なそれらを与え、守ってくださいます。
7月25(木)ピリピ人への手紙1章
9〜11節「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、 あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、 イエス・キリストによって与えられた義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。」
パウロは、信仰者への期待を込めて、このように祈りました。もちろん、すでに神に、愛されている、受け入れられている、それは素晴らしいことです。でもそのままで終わってほしくない、神の素晴らしさを身をもって味わってほしい、そう願っているのです。
困難に対して、誘惑に対して、罪に対して、もう一度立ち上がってみませんか?
7月26日(金)ピリピ人への手第2章
6〜8節「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。」
キリストの謙卑、と言われる箇所です。わたし達のために、すべてを投げ出しても惜しくない、そう言って、神のあり方を棄て、いのちさえも棄ててくださった方がいるのです。あなたはそれほどまでに大切な存在なのです。
7月27日(土)ピリピ人への手紙3章
12〜14節「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。 兄弟たちよ。私は、すでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」
わたし達は『すでに』救われています。罪赦されています。天の御国が約束されています。けれど、『いまだ』地上にいて、復活の身体は得ていません。パウロは救われていることにあぐらをかかず、救われた者として、やがて与えられる素晴らしい祝福を求めるものとして、それをまっすぐに見つめ、それにふさわしく歩もうとしました。
わたし達も、約束されたやがての素晴らしい祝福を一心に求め、希望を持ち、行きていきたいのです。
7月28日(日)ピリピ人への手紙4章
6〜7節「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
不安な時、わたし達は一生懸命取り組みます。時には、祈りを忘れるほどに。もちろんそのような熱心さも大切です。けれど、それで心が落ち着きを失い、歩みが狂ってしまうことがないでしょうか?
まず、祈り、あなたの心を神に注ぎだしてみませんか?そして、神が必ず良くしてくださるという平安を受けたうえで、眼の前の出来事に取り組んでみてください。
