12月24日のメッセージ

202312月24日「クリスマス」 

IMG_20231224_083326
1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。 

 

 今年も、もうすぐ終わりですね。2023年は、藤井八冠の誕生や、大谷投手の活躍など、明るいニュースもありました。一方、パレスチナ・ウクライナでの戦争、アイドル事務所の性加害、カルト宗教の問題、力のない立場の国や、マイノリティへの抑圧、世界中での極右勢力の台頭など、心を暗くする出来事もまたありました。人のいのちの大切さ、存在の尊さ、人格・人権、それらが蔑ろにされる場面を、多く目にした一年でした。 

 

 戦争などで、誰かを攻撃し、抑圧し、搾取し、支配する際には、相手は劣った存在だ、彼らは虐げられ、罰せられてしかる存在だとプロパガンダが流されます。自分達こそ正しく、正当な行為をしているのだ、と様々な理由が挙げられます(イスラエルも、ロシアも、演説で聖書が引用されるのです)。自分達を高く、相手を低くし、相手の人格や存在を軽んじることを正当化するのです。 

 

 これは戦争やだけではありません。私達も、社会も、宗教も、武力は使わないとしても、誰かを軽んじ、虐げます。経済、容姿、能力、地位、功績、人種、身体的特徴、宗教、年齢、人生に起こる様々な出来事、それらによって理由をつけ、ある人を(ときには自分自身を?)軽んじ、はじき出し、虐げ、苦しめるのです。 

 

 だからこそ、今日のクリスマスの話が大切なのです。クリスマスのメッセージ、それは神に愛されないものは誰一人いない、というものです。 

 クリスマスに出てくる若い夫婦・羊飼い・博士達は、みなマイノリティです。立場の弱い人です。存在を軽んじられた人です。クリスマスはそのような人たちばかりに光が当たるのです。 

 

 ユダヤの国では、宗教的な正しさが、その人の価値・地位・経済を決めました。羊飼いは仕事柄、様々な宗教規定を守れません(安息日である土曜日は1キロ以上移動してはいけないなど)。そのため、戒めに背く『罪人』とレッテルを貼られ、裁判で証言をする資格すら与えられない、人として認められない存在でした。(神が天国に入れないとすら考えられていたのです。) 

 

 博士達は、外国人で異教徒であり、ユダヤ人にとっては論外です。 

 

 若いヨセフとマリアの夫婦は、結婚前に妊娠をしたため、宗教的に汚れた人間として、どの家にも入れてもらえずに(そのような人間を家に入れたら自分達も汚れる、そう考えられたのです)、家畜小屋で出産をし、生まれたばかりの子を家畜の餌箱で寝かせる羽目になりました。 

 

 生活困窮者、社会的失敗者、宗教的堕落者、外国人、異教徒、それらユダヤ国家にとって価値のない、劣った存在の人たち。人からも、神からも受け入れられない、尊ばれる価値がない・・・・ 

 けれど、天使が最初に知らせたのは、見下された羊飼いでした。キリストを生んだのは貧しく、 

人々から嫌われたマリアとヨセフという夫婦でした。クリスマスを最初に拝んだのは、外国の博士たちでした。 

 ユダヤ教の祭司のような宗教的に正しい人でも、ヘロデ王のような地位の高い人でも、エルサレムに住む金持ち役人でもないのです。神が最初のクリスマスに選んだ、尊んだのは、人からは、見下され、虐げられ、存在を認められなかった人たちでした。 

 

 最初のクリスマスは、神は全ての人を尊び、愛している証拠です。軽んじられていい人など、虐げられても、搾取されても、爆撃で殺されてもよい人など、誰一人もいないのです。 

 

 先日あるドキュメンタリーを観ました。 

ホアン・カルロスというマイノリティの男性が、ローマ教皇フランシスコと面会します。彼は、自分自身の持つ性質が社会だけでなく教会からも否定され、受け入れられてこなかったことを知っています。そして、自身についての正直な思いを教皇に伝えます、『私は信仰を失い、悲しみに沈んだ人間です。あなたが私をどう見るかを心配し、恐れています。』 

 すると、教皇フランシスコは間髪入れず答えます。『私の目を見て、ホアン・カルロス。そのような貴方をこそ、神は愛しているのだ。他ならぬ神が、貴方をそのようにお造りになった。私はそのようなあなたを愛します。同じようにあなたも、自分自身を愛してくださいませんか?』カルロスは、『自分を取り巻く問題が全て解決した訳ではないが、僕は本当の意味で真に心を通わせてくれる人に出会った。』と答えていました。この話を聞き、多くの当事者たちが涙を流しました。 

 

 クリスマスというのは、自分の、人の、存在を認め、尊ぶ、そのような季節です。だって、神がすべての人を愛し、キリストを送ってくださったのですから。クリスマスは、自分の尊さ、人の存在、自分を愛する神を、心に受け止める時期です。 

 

 謙遜なみなさんは、いえいえ、自分の内側は、狭く、乏しく、暗く、醜く、汚れていますよ、そうおっしゃるかもしれません。けれど、イエス様は、暗いこの世界に着たのです。狭く、乏しく、汚れた、家畜の餌箱に眠られたのです、醜く恐ろしい、十字架にまでかかられたのです。神がいられない場所など無いのです。 飼い葉桶のような、狭く、乏しく、汚れた心であっても良いのです。神が愛を持ってそこに宿ってくださるのですから。 

 

 先程のドキュメンタリーの最後に、教皇は全ての抑圧された人、阻害され、自分など誰からも尊ばれないと感じる人に向けて(また彼らを低く見る社会や教会を念頭に)、キリストを代弁して言います。『教皇の立場としてこんなことを言うのは間違っているのかな?あなたを愛しています。』(いえ、けっして間違っていないのです。キリストは言われます。ガザにむけて、すべての虐げられた人に向けて。『神がこんなことを言ったらおかしいのかな?わたしはあなたのためにうまれ、あなたのために十字架にかかりました。わたしはあたなを愛しています。』 

 

 もし、キリストが今の時代に生まれるとしたら・・・ 

マリアヨセフでなくどのような見捨てられた夫婦に生まれるでしょうか? 

飼葉桶でなくどんな貧しい場所に寝かされるでしょうか? 

羊飼いでなくどのような見下された人たちに天使が知らせを告げるでしょうか? 

博士の代わりにどのような宗教の人が最初の礼拝に来るのでしょうか? 

 

 キリストがその人のために生まれなかった人など、キリストがその人のために死ななかった人など、神が愛さない人など、この世界に一人もいないのです。 

 

  

Top