12月10日のメッセージ

202312月10日「クリスマスの悲しみ」

LYNXMPEFBM08K

 10 その星を見て、彼ら(東方の博士たち)はこの上もなく喜んだ。11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。・・・16 その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年齢は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。17 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。18 「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」

<クリスマスの悲劇>

 お手伝いしている幼稚園のクリスマス劇(リハ)がありました。子ども達は可愛いのですが、妊婦であるマリアさんがどこの宿(家)にも入れてもらえず、馬小屋で出産するという内容で、悲しいお話でもあります。(馬小屋だからこそ、貧しい羊飼いは、幼子イエスに会えたのですが)

 

ただ、クリスマスには、さらに悲劇的な出来事が起きます。ほとんどの教会でクリスマスに触れられない、私自身初めて話す箇所です。それは、ヘロデ王による、幼子の虐殺事件です。新しい王が生まれたと聞き、今のうちに殺してしまおうと、兵を送り、該当しそうな幼子を皆殺しにしたのです。幼子イエスは難を逃れますが、数十名のこどもが犠牲になったと考えられています。

 

 今のような時代だからこそ、この箇所に向き合いたいのです。『ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。・・・子らがもういないからだ。』(18節)

 愛する子を失い、絶望し、嘆き叫ぶ悲痛な声です。私達はこの声を知っています。テレビから毎日のように流れてきます。今日も、ガザで声がします。ブチャ(ウクライナ)から、嘆き叫ぶ声がします。腕の中に子の亡骸を抱えた父の、子が埋もれている瓦礫の山の前で泣き崩れ落ちる母の、叫ぶ声が聞こえます。私たちが気づかないだけで世界中の様々な場所で、子や大切な人を失い、嘆き叫ぶ声がするのです。

 

 ヘロデの行為や、現在の戦争を見れば分かるように、人の罪、欲望や自己中心の行為の犠牲となるのは、子どもに代表される、力や立場の弱い人です。人間の醜い罪は、それが生み出す、毒や呪いのようなものは、立場の低い人へと向けて流れ、彼らを苦しめるのです。一部の人の欲望のつけを、なんの落ち度もなく、ただ弱い状況に置かれていただけの人が支払わされるのです。

 

 それは、戦争だけではありません、搾取により、差別により、環境破壊により、人の罪は、こども、貧しい人、少数者、など、弱い立場に置かれて人を、苦しめ、生活を、いのちを奪うのです。

(少し横道にそれることをお許しください・・・私達の国もかつては、多くの地域に嘆きの叫びをもたらしました。現在は、侵略等はしていませんが、生活の維持のために、貧しい国の環境が壊され、生活や住む場所を失った人々は、先進国の人に責任を取ってほしいと、クローズアップ現代シリーズ『地球沸騰化』で、私達に叫んでいる場面がありました。次の1年、NHKで環境問題に力を入れて報道するそうですので、関心を払ってみてください。)

 泣き叫ぶ人たちが、どのような気持ちで、クリスマスを迎えているかと考えると、胸が苦しくなります。私達に魔法のような力があり、苦しむ人を守ることが出来たらどれだけ良いでしょう。彼らの具体的な助けになれず、いたたまれない思いがします。

 月並みで申し訳ないのですが、毎日祈りましょう。耳を傾け、心を注ぎ、関心を払い続けましょう。心が痛み、暗い気持ちになりますが、キリスト者は決して、人の悲しみに、嘆きに、無関心であってはならないのです。なぜなら、キリストは、嘆きの声を、祈りの叫びを、聞き逃さず、応えてくださるからです。

慰めの約束

 今日の箇所で、ベツレヘムでの子ども虐殺事件を、著者マタイが旧約聖書(のエレミヤ書)の言葉と重ねて紹介しているのは意味があります

 1つ目は、私達はいつの時代も、人の罪が立場の弱い人を苦しめる、悲しみに満ちた世界に生きているということ。(その世界にキリストが生まれてきたこと。)

 そして2つ目は、神が悲しむ人を放っておかず、必ず省みてくだいということです。

(マタイの福音書は、ユダヤ人に向けて記されましたが、彼らは旧約聖書の一部を引用されれば、その周辺までも正確に思い浮かべることが出来ました。私達も、引用があれば、せめてその一節が含まれた章全体には目を通す必要があります。)

 エレミヤ書31章は、この箇所だけ読むと、嘆きの箇所です。 国が滅ぼされ、ある人は殺され、ある人は奴隷となり遠い国へ引かれていく悲劇が、子を失った母の嘆きとして記されます。

 けれど、引用元の箇所ではこう続くのですあなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。』(16節)なぜなら神が嘆くものを決して放っておかないからです。いえ放っておけないからです。

 神は、嘆き、恐れ、失望する人々に、語ります。

  『永遠の愛をもってわたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』(エレミヤ31章3節)

 『わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。』(31章20節)

神は悲しむ者を憐れまずにはいられないのです。

ウクライナの嘆きに、カザの叫びに、神のはらわた(つまり心)は、わなないているのです。 

 ウクライナやガザの惨状を憂いて、国連で採択されようとした、即時撤退や停戦を求める決議案が、拒否権によって否決される、顔色をうかがい棄権される、のを私達は目にします。

 国家間の力や経済の関係、自国の利益、国内外のバランス、などに影響され、悲しみの声に応えられないのです。人種、宗教、過去の歴史、それらの違いも、世論や判断に影響を与えます。

 けれど、神は違うのです。自分の利益など考えず、全てを投げ捨て人となり、クリスマスに生まれました。ウクライナはキリスト教だから、ガザはイスラム教だから、そんな私達のようなつまらない線引きをせず、全ての人のために十字架にかかってくださいました。

 (聖書は全てを説明しているわけではなく、神の心の完全な表れであるキリストの振る舞いから想像することしかできませんが)、国籍や人種や宗教を問わず、必ず悲しむものに憐れみ深く接してくださるのです。

 ウクライナで爆撃で生命を奪われた子の魂を省み、ガザで飢え泣いている子の肩を抱きともに涙を流す、のが私達のキリストです。

 ですから、毎日嘆く人たちのために祈りたいのです。その方が、今苦しむ人を守ってくださるように、生命を奪われた人を省みてくださるように。

 

また聞いてくださるのは憐れみ深い方ですから、私達も悲しみがあれば何でも祈りたいのです。

 私達の嘆きが、自分の落ち度故であっても、それでも祈ってよいのです。エレミヤ書は、何の落ち度もない子ども達が犠牲になったマタイの文脈とは異なり、神への恩を忘れ、背信と悪行の限りを尽くしたイスラエル国家が、バビロニアに滅ぼされ、あるものは殺され、ある者は奴隷となり移送される、その際の嘆き。いわばに自業自得です。けれどそれでも神は憐れみで応えるのです。『契約を破』(32節)った彼らに対して、『新しい契約を結ぶ。』(31節)と誓い、『わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』(33節)と、背信の人々との関わりをあきらめないのです。そして、『わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さない。』(34節)と誓います。この新しい契約とはイエス・キリストを、その十字架を意味します。だからこのエレミヤ書は、神がこの暗い世界を、罪深い人間をけっして諦めないしるしなのです。

『キリストこそ私たちの平和』(エペソ2章14節)という言葉があります。

キリストの平和が、その平安が、ガザに、ウクライナに、私達の周りに、私達の心に、隅々にまでもゆきわたりますようにと、祈り続けましょう。

 

<今週の黙想>エレミヤ書31章を、別紙になる、『平和を求める祈り』(日本基督教団編2022年)を祈ってみてください。

平和を求める祈り―ウクライナとロシアを覚えて

主なる神よ

私たちは罪の中に住む者、そして罪人である私たちの共同体もまた、罪を犯します。
あなたの聖なる火で私たちを清めてください。

あなたを畏れることを忘れ、自分を大きくし、傲慢になる時、
私たちは他者を脅かし、傷つけ、
あなたにも背を向けます。
主よ、人間の傲慢さを打ち砕いてください。

万軍の主よ、あなたの赦しの力は私たちの罪より偉大です。
私たちを、この世界を、罪から救ってください。
あなたの赦しに触れ、私たちにも赦す力を与えてください。

多くの人々の生死に関わる力を持つ人々がいます。
その者たちのために祈ります。
彼らが命を選ぶことができますように。

争い合う道を選び取った人々のために祈ります。
平和の神であるあなたの教えを
彼らが思い出すことができますように。
神よ、あなたは剣を鋤に変え、
私たちに戦いを止め、平和を求めるよう、
その御心を示されます。

世界の指導者たちが、日本の指導者たちが、
世界の教会が、日本の教会が、
キリストの知恵と愛によって導かれ、
勇気をもってこの局面と向き合うことができますように。
武力ではなく、対話と相互理解、
異なる立場にある者たちを互いに思いやる心をもって
平和の道を模索していくことができますように。

ウクライナとロシアの人々のために祈ります。
命を脅かされている人々のために、
恐れと不安に襲われている人々のために、
平和を求める人々のために祈ります。
彼らの嘆きに耳を傾け、
あなたが共にいて御手をもって彼らを守り、
滅びの道から救い出してくださいますように。
慰めと希望を与えてくださいますように。
あなたの平和をもたらしてくださいますように。

命と平和の主よ、
私たちに、それぞれに置かれている場所から声を挙げ、
あなたの御心を宣べ伝えることができますように。
あなたの御心を求め、それに従いつつ、
世界のキリストに従う者たちと共に、
私たちを、平和を造り出す者としてくださいますように。

私たちの祈りをとりなし、
私たちの嘆きに耳を傾けてくださる
神の独り子
イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。

日本基督教団世界宣教委員会

Top