毎日の聖書8月14日〜

おざく台教会毎日の聖書 8月14日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

8月14日(月)エレミヤ書20章

9節「私は、「主のことばを伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。

  みなさんは死海とガリラヤ湖の違いをご存知でしょうか?ガリラヤ湖は、流れ出る道筋がないため、河からミネラルが流れ込んで干上がり、塩分濃度が高くなり生物は住むことができません。

 ガリラヤ湖は、流れ出る先があるため、いつも水は新しく、生き物で溢れています。(ペテロ達はそこで漁をしていました。)

 私達は、福音を、キリストという宝を持っています。それは私達のうちに留めるのではなく、隣人へと溢れ流れる、いのちの泉です。

 

 

8月15日(火)エレミヤ書21章

8節「見よ。わたしはあなたがたに前に、いのちの道と死の道を置く。」

 私たちは自由意志のないロボットとしては創造されてはいません。神を愛することも、神にそむこと子もできる、人に与え仕えることも、呪い損なうこともできる、そのような存在として造られました。

 いのちの道も、死の道も歩むことができるのです。そして、神は語りかけます。「あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30章19節)と。今日一日、いのちの道を選び続けてください。

 

 

8月16日(水)エレミヤ書22章

24節「わたしは生きている、」

 パスカルの名著「パンセ」の中に、「パスカルの賭け」という有名な部分があります。

「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?賭け金は自分の人生である。神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。

 反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるからである。」

 神の言葉に答え、生きておられる神にかける一日としてみてください。

 

8月17日(木)エレミヤ書23章

7〜8節「それゆえ、見よ、このような日が来る。―主の御告げ―その日には、彼らは、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる』とはもう言わないで、『イスラエルの家のすえを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる。」

 民は、神が昔、自分たちの祖先を助け、エジプトの支配から解放してくれた、という出来事を支えとしてきました。しかし、神は、昔助けてくれた、祖先たちの神ではないのです。自分たちを、今度はバビロンから救い出してくださる神なのです。

 あなたは、神を、信仰の先人たちや別の誰かを助け祝福してくれた存在として考えているかもしれませんが、自分を助け祝福してくださると信じていますか?

 神は昔の神でなく、今、あなたとともにいてくださる神なのです。

 

8月18日(金)エレミヤ書24章

6〜7節わたしは、良くするために彼らに目をかけて、彼らをこの国に帰らせ、彼らを建て直し、倒れないように植えて、もう引き抜かない。 また、わたしは彼らに、わたしが主であることを知る心を与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心を尽くしてわたしに立ち返るからである。

 7節の「彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。」これこそが福音であり、永遠のいのち、だとされる箇所です。神との出会い、神との豊かで生きた関係、それが、財産よりも、地位よりも、能力よりも、私たちを満たし、活かすのです。あなたはこの永遠のいのちを得ているのです。

 神に愛されているものとして、救われたものとして、安心して生きてください。

 

8月19日(土)エレミヤ書25章

3節アモンの子、ユダの王ヨシヤの第十三年から今日まで、この二十三年間、私に主のことばがあり、私はあなたがたに絶えず、しきりに語りかけたのに、あなたがたは聞かなかった。

 神は、語りかけ、語りかけ、語りかける神です。誰が不従順なもののために、23年間も、いえ人類の歴史の間つねに、語りかけるでしょうか?
 応えていない神の言葉はありませんか?もう一度、あなたに向けて語りかけられる、神様の声に向き合ってみてください。

 

 

8月20日(日)エレミヤ書26章

24節「しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されないようにした。

 誠実に歩みつつも、周囲の人々は都合の悪いことを言うエレミヤを攻撃しました。けれど、神様はアヒカムという助けを送ってくださいました。どんなときも神の助けはあるのです。

 また、あなた自身が誰かの助けになることができるかもしれません。示されている人はいますか?どのようにその人を励ますことができるでしょうか?

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