毎日の聖書 8月7日〜
おざく台教会毎日の聖書 8月7日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
8月7日(月)エレミヤ書13章
16節「あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。」
ウェストミンスター小教理問答第一問「人の主な目的は何ですか?」
答「神に栄光を帰し、永遠に神を喜ぶことです。」
さあ、今日一日、どのような方法で神に栄光を帰すことができるでしょうか?神に栄光を帰すとは、なかなか難しいですね。ある牧師はこの答えを、「神を喜び、神に喜ばれる」と言い換えました。神に喜ばれる歩み、考えてみてください。
8月8日(火)エレミヤ書14章
7節「私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。」
私たちの救いは、立派さや功績にはよらず、ただ私たちを救おうと決めてくださった神の意志によるのです。私達は自分の正しさではなく、功績でもなく、神の憐れみに頼るのです。7節をあなた自身の祈りとして祈ってみてください。
8月9日(水)エレミヤ書15章
16節「私にはあなたの名がつけられているからです。」
あなたは、神の子(ガラテヤ3:26)、神の民(Ⅰペテ2:10)、キリストの友(ヨハネ15:15)、聖徒(エペソ1:1)、祝福の相続人(ガラテヤ4:7)、天の国民(ピリピ3:20)、地の塩世の光(マタイ5:13~14)など、様々な名がつけられています。自分自身を新しい名で呼んでみてください。
8月10日(木)エレミヤ書16章
19節「主よ、私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場よ。」
あなたは自分の悩みや苦しみを神に話していますか?私達の信仰の態度は「困った時の神頼み」と大した違いはないかもしれません。しかし、それでも神は受け止めてくださるのです。自分の中で煮詰まるのではなく、誰かにぶつけるのでもなく、あなたの悩みも、疑問も、怒りも、恨みも、文句さえも、神の前に注ぎ出し、祈ってみてください。神はあなたの言葉も、感情も、しっかりと受け止めてくださいます。
8月11日(金)エレミヤ書17章
9節「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」
私は、教師でり、牧師であり、一般には「聖職」と言われる仕事をしています。けれど(みなさんも実感しているように)、この聖書の言葉のように、陰険で、自己中心で、愚かです。これからもたくさんの過ちを犯すかもしれません。
けれど、大切なのは、自分の心は、陰険である、つまり、罪に歪んでいるということを知っていることではないでしょうか?病の治療は、病識(自分は病気があるという気付き)から始まります。それでこそ、魂の医者であるイエス・キリストに頼ることができるのです。
8月12日(土)エレミヤ書18章
4節「粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。」
4節では、陶器師が器を一度壊して、新しい器に造りかえる箇所が出てきます。文脈とは少しずれてしまうかもしれませんが、たとえ自分で自分を変えられなくても、陶器師である神様が私達の心を、生き方を新しく、素晴らしいものに造りかえてくださるのでしたら、どれほど素晴らしいでしょうか?
わたしを造り変えてくださいと、陶器師である方に祈ってみませんか?
8月13日(日)エレミヤ書19章
5節「このような事は、わたしが命じたこともなく、語ったこともなく、思いつきもしなかったことだ。」
バアル神に、自分のこどもを生贄として焼く、これは確かに神様は命じていません。けれど、私達は神が命じていないこと、(聖書にあっても)神が願っておられないことを行っていないでしょうか?
自分がしようとしていることは、イエス様が願っていことかな?そう問いながら歩めることが、信仰の健全さを保つのかとも思います。 良い意味で自分を疑いながら、歩んでみてください。