毎日の聖書7月31日〜8月6日
おざく台教会毎日の聖書 7月31日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
7月31日(月)エレミヤ書6章
14節「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。」
真実だけれど厳しい言葉と、偽りだけれど耳障りの良い言葉、あなたはどちらを聞きたいですか?エレミヤ書を読む私たちの心は痛みます。背信の民に自分自身の姿が重なるからです。目と耳を背けず、もう一度ゆっくり6章を読んでみてください。
けれど忘れないでください。神は愛と計画をもって、私達の過ちや闇を指摘してくださるのです。本当の友は、しっかりと誤りを指摘てしてくれる存在です。
8月1日(火)エレミヤ書7章
23節「あなたがたをしあわせにするために、わたしが命じるすべての道を歩め。」
私たちの神は良い方です。私たちを束縛しようとも、損をさせようとも思ってはいません。神の動機は、いつも私達の幸せです。神の、言葉は私たちを自由にし、幸いを与えます。今日一日、神は私達にどのような道を用意しているでしょうか?どのように歩んでほしいと願っているでしょうか?立ち止まり、耳を傾けるところから、この一日をはじめてみてください。
8月2日(水)エレミヤ書8章
9節「見よ。主の言葉を退けたからには、彼らに何の知恵があろう。」
退けたままの、耳を背けたままの、神の言葉はありませんか?私たちの幸いは、私たちの救いは、私たちの希望は、神の言葉にこそあるのです。
あの有名なダビデ王でさえも、小さな罪を犯したのをきっかけに、(ただ悔い改めればよかったのに、いつまでも神に心向けずに)、恐ろしい犯罪行為を犯しました。
神はいつもあなたに語りかけ、手を伸ばしています。勇気を出して、その言葉と、もう一度向き合ってみてください。
8月3日(木)エレミヤ書9章
24節「誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。」
小さな幼子や、親を誰よりも知っています。親の仕事や、経歴や、収入など、情報としては親について知っていることはほとんどないでしょう。けれども、親の温かみ、表情、声色、それらを誰よりも味わい喜んでいます。(神について知っていることと、神を知っていること、とは全く別物なのです。)
神を知っていること、これに勝る誇りは、喜びはありません。キリストを知っているなら、私たちは幸いなのです。
8月4日(金)エレミヤ書10章
23節「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」
あなたの歩みはふらついていませんか?それを自分で必死に何とかしようと苦しくなっていませんか?この23節の祈りを告白しながら、今日一日神様により頼んでみてください。
8月5日(土)エレミヤ書11章
7節「『わたしの声を聞け』と言って、しきりに戒めてきた。」
神様は日々熱心に語りかけてくださっています。神の言葉は、遠く旅をして、探し求めるものではありません。向こうからやってきて、いつもいつでも語りかけられているのです。後は私たちが耳を傾けるかどうかです。あなたが耳を塞いでいる神の言葉はありませんか?いつ耳を傾けますか?今日がその日でありますように。
8月6日(日)エレミヤ書12章
15節「しかし、彼らを引き抜いて後、わたしは再び彼らをあわれみ、彼らをそれぞれ、彼らの相続地、彼らの国に帰らせよう。」
神の憐みとは、苦難や危機に遭わせないことではなく、一時的にはそのような状況を許しても、最後まで見捨てず見放さないことです(へブル13:5)。今苦しみにあっていたとしても、どうか神を、神の愛を疑わないでください。あなたは永遠に神の愛の対象です。