毎日の聖書8月28日〜

おざく台教会毎日の聖書 8月29日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

8月29日(月)ヨブ記1章

21節「そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』 」

 神の主権、これは人間の都合や欲望が優先される諸宗教と、キリスト教とを区別する最大の特徴です。信仰の成長とは、自己中心・人間中心から神中心へと造り変えられていくことです。試練や困難の時に、ヨブのように告白するのは難しいでしょう・・・けれども、ここに答えがあることだけは忘れないでください。ヨブは神への信頼を選び続けたのです。

 

もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 」ローマ14章8節

8月30日(火)ヨブ記2章

10節「しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。」

 大切なのは「神から」という点です。私たちは様々な試練に直面しますが、それらはただの不運でも、悪魔からでも、人間からでもなく、愛と憐れみの「神から」与えられたのです。ですから、受けとめ、意味を問い、従うことが出来るのです。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。 」コリント人への手紙第1 10章13節

8月31日(水):ヨブ記3章

1節「その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。

 ヨブは神に自分の苦しい内側を吐露します。人間ですから、勘違いや高慢、無理解や言い過ぎもありました。しかし、大切なのは神に向くことであり、神はそれに耳を傾けておられました。私達は神に、怒りを、疑問を、不満を、悲しみを、呪いの言葉さへも向けてよいのです。あなたは、心の内側を神に吐露していますか?神はちゃんと受け止めて下さる方です。

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。 」エレミヤ33章3節

9月1日(木)ヨブ記4章

7節 「さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びた者があるか。どこに正しい人で絶たれた者があるか。

 三人の友人は因果応報的な理解をして、ヨブの苦しみは隠された罪が原因だと指摘し、ヨブを苦しめます。そのような時に必要なのは、答えや、正しさ、ではなく、寄り添い共に泣いてくれることだと思います。私たちが誰かと共に泣けるものになれますように。

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 」ローマ12章5節

9月2日(金)ヨブ記5章

17節「 ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。

 友人達の言葉には、確かに真理も含まれていますし、状況や場合を選べば、賢い言葉だったでしょう。れど、この時の言葉はヨブを生かしませんでした。ここに、内容や動機が罪に歪んだ人間の言葉の限界があります。いえ、神の言葉すら、誤った動機で用いしてしまうのが、人間なのです。

 言葉を発するときに、たとえそれが正しいものであっても、愛を動機としているかを探り、キリストならどう言うかを考えてみてください。

 

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。 」詩編139篇23~24節

9月3日(土)ヨブ記6章

1節「ヨブは答えて言った。」

 ヨブ記で明らかなように、人の論争には、真理も含まれてはいますが、多くの場合虚しさがあり、破壊的な結果へとつながるのもまた事実です。論争に疲れた時、神を見上げ、静かに神の言葉に耳を傾けてみてください。イエスさまは、よく天を見上げる方でした。

「そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ」すなわち、「開け」と言われた。」マルコの福音書7章34節

9月4日(日)ヨブ記7章

17節「人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。

 悲しみに遭うということは、神に見捨てられたことを意味しません。悲しみの中でこそ、自分に注がれるまなざしと優しい御心とを思い返してください。あなたはどんな時も、神の愛する子、神の宝です。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 」イザヤ43章4節

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