毎週の聖書3月28日~4月3日

おざく台教会毎日の聖書 3月28日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

3月28日(月)第1列王記5章

3節「あなたがご存じのように、私の父ダビデは、彼の回りからいつも戦いをいどまれていたため、主が彼らを私の足の裏の下に置かれるまで、彼の神、主の名のために宮を建てることができませんでした。」

 

願いつつも、神殿を建てることが出来なかったダビデに、約束の地に入れなかったモーセを思い出します。いろいろな思いもあったでしょう、しかし、この二人は神の計画を受け入れ、自分の後継者に大切な役目を譲り、自分は後継者を背後で支えました。自分の願望より神の願いが優先する、自己中心でなく神中心になる。そう聞くと、一見不自由そうですが、モーセも、ダビデもしなやかに生きました。対してサウル王は、自分の願望に固執し、目をそむけたくなるような姿になりました。あなたはどちらの歩みを選びますか?

 

受難節第23日:ルカ19章

 

 

3月29日(火)第1列王記6章

12節「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行い、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。」

神殿という建物や神殿祭儀という習慣が祝福を保障するのではありません。ソロモンの在り方が、生き方が問われたのです。立派な教会堂も整った礼拝も、形だけでは無意味なのです。私たちの心が、歩みこそが、問われているのです。今日一日、いつも目を注いでくださっている方のまなざしを意識し、あなたなりに神様への応答として、歩んでみてください。

 

受難節第24日:ルカ20章

 

 

3月30日(水):第1列王記7章

1節「ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した。」

ソロモンの立派な宮殿。後にこの宮殿は、多くの外国の妻とともに偶像礼拝を招き入れ(11章4節)、イスラエルを堕落させる温床となりました。目に見える豊かさや、人の評判は、二の次、三の次です。神様が、神殿を、あなたの生涯を支配しておられるかが重要なのです。また、あなたの家は?あなたの教会は?いかがでしょうか?

 

受難節第25日:ルカ21章

 

 

3月31日(木)第1列王記8章

30節「あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。」

罪ある人間の悔い改めの祈りを、聖なる神が天で聞いてくださるよう、何度も繰り返し求めています。私たちは罪を過ちを犯します。だからこそ、何度でも悔い改め祈るです。そして神は何度でも赦し、抱き上げ、手を取って歩みを導いてくださいます。ある説教者は『こんにちは』のかわりに、握手をしながら『悔い改めましたか?』と挨拶をしたそうです。悔い改めは恥でも弱さでもなく、祝福への鍵なのです。

 

受難節第26日:ルカ22章

 

 

3月25日(金)第1列王記9章

9節「すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から自分たちの先祖を連れ出した彼らの神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ』と言うようになる。」

聖書を読むと、教会の歴史を学ぶと、それは偶像礼拝の歴史とも言えます。自らを信仰者と言いつつも、地位・名誉・権力・快楽・金銭などの偶像を拝み、主を捨てている者たちの歴史です。そして私達もまた、神を捨て、様々な偶像を拝みます。しかし、不思議と神は私たちを捨てないのです。

あなたが神以外に拝み、心が支配され、行動が導かれている偶像、偽りの神々は何でしょうか?

 

受難節第27日:ルカ23章

 

 

3月26日(土)第1列王記10章

9節「あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行わせられるのです。」

作曲家バッハは楽譜にSoli Deo Gloria(ただ神にのみ栄光あれ)といつも記しました。私たちは人に憧れたり、自分を誇ったりします。しかし、本当の意味で憧れや誇りにふさわしいのは、神様だけです。私たちの今日に、言葉と、行動という文字によって、Soli Deo Gloria と記すことが出来ますように。

 

受難節第28日:ルカ24章

 

 

3月27日(日)第1列王記11章

2節「この女たちは、主がかつてイスラエル人に、『あなたがたは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる』と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。」

堕落は神以外のものへの執着から始まります。あなた方の神へのどうしても離れられないものはありませんか?地位も富も、他の何も、キリストには変えられないのです。ある神学者は言いました。『あなたがたの罪への欲求が大きすぎるのではなく、あなた方の聖なることへの欲求が小さすぎるのだ。』他の何よりも、神を求める一日となりますように。

 

「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」ルカの福音書12篇31節

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