毎日の聖書3月21日~27日

おざく台教会毎日の聖書 3月21日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

3月21日(月)第2サムエル記22章

2~3節「彼はこう歌った。「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。」」

ダビデは敵の手から救い出してくださった神を、こう表現しました。あなたなら、神様を何と言いますか?少し時間をとって考えてみてください。そして示された言葉で主を「わが〇〇」と告白し賛美してみてください。

 

受難節第17日:マルコ11章

 

 

3月22日(火)第2サムエル記23章

39節「ヘテ人ウリヤ。全部で三十七人である。」

ダビデの有能な部下の名として、ヘテ人(ヒッタイト人)ウリヤの名が記録されています。ウリヤは忠実な勇士でした。偉大な信仰者ダビデは、その妻を奪い、策略により彼を殺しました。

立派なダビデですら、罪深く、愚かで、歪んでいたのです。信仰とは、外面的に立派な自分を偽ることではなく、内面の罪に気付き、神にすがることです。何度誤っても、神にすがり続けるのです。

 

受難節第18日:マルコ12章

 

 

3月23日(水):第2サムエル記24章

15節「すると、主は、その朝から、定められた時まで、イスラエルに疫病を下されたので、ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。」

ダビデの晩年の大失態です。自己顕示と自己保身から自分を神より高い位置に置きました。そして、その罪の結果を自分が被ることを避け、守るべき民の命が失われます。

若い時には若い時の誘惑がありますが、人生の晩年(そして、苦難や喪失の時)には、また別の誘惑があり、信仰の戦いは一生続くのです。

あなたは今、どんな誘惑(神から目を離そうとするものや状況)にあっていますか?今日も、明日も、神を見上げ続けることが出来ますように。

 

受難節第19日:マルコ13章

 

 

3月24日(木)第1列王記1章

6節「彼の父は存命中、『あなたはどうしてこんなことをしたのか』と言って、彼のことで心を痛めたことがなかった。そのうえ、彼は非常な美男子で、アブシャロムの次に生まれた子であった。」

人間的・社会的には立派なアドニヤ。彼は人の目は意識しましたが、神の目を意識せず、結果は悲惨なものでした。もちろん、人の目もとても大切です。人の目を意識したとき人は高慢になりますが、神の目を意識し、謙遜になることが出来ます。神を畏れ敬う人こそが、本当に魅力的な人なのです。

 

受難節第20日:マルコ14章

 

 

3月25日(金)第1列王記2章

3節「あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。」

あのダビデ王ですら正しく歩めないことも多く、周囲に被害をもたらしました。家族には問題を抱え、その信仰もほとんど伝わりませんでした。成功もあれば、失敗も多かったのです。

けれどダビデは、主の道を歩むことこそが最善なのだ!という確信を持ち、その道を歩もうと一生懸命でした。踏み外しても、迷っても、主の道に帰り、歩み続けてください。

 

受難節第21日:マルコ15章

 

 

3月26日(土)第1列王記3章

9節「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

ソロモンの祈りは、自分の繁栄でなく神の栄光、自分の願いの実現でなく神の御心がなされることでした。信仰の成長とは、知識や奉仕量の増加でなく、自己中心から神中心へ、「私のイエス様」から「イエス様の私」へと変わっていくことです。

あなたが何のために、何を求めて生きているか、それによってあなたの歩みは変わってくるのです。

 

受難節第22日:マルコ16章

 

 

3月27日(日)第1列王記4章

29節「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。」

ソロモンの知恵とイスラエルの繁栄が語られます。そのまま歩めればよかったのですが、異教の神々の魅力に目を奪われ、まことの神に目を背けた時、知恵と繁栄とは失われていきました。

悪い時もですが、良い時や安定した時もまた、神から目を離す危機があるのです。今時間をとって、目を、耳を、心を、神様に向けてください。

 

「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」詩篇34篇8節

Top