毎日の聖書3月14~20日

おざく台教会毎日の聖書 3月14日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

3月14日(月)第2サムエル記15章

5節「人が彼に近づいて、あいさつしようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした。」

一見親切なアブシャロムの行動の裏には、自己愛という動機が隠されていました。私たちが人と接するときの動機は何でしょうか?自分への愛以上に、人への思いやりにより行動出来ますように。それに加えて、何よりも、神への愛が動機となりますように。

今日一日、自分の行動を見つめ、問いながら歩んでください。

 

受難節第11日:マタイ26章57~75節

 

 

3月15日(火)第2サムエル記16章

12節「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」

生きていれば、たとえ落ち度がない場合でも、人からのろいに満ちた言葉や行動を受け、心を痛める時があります。今日の箇所で、ダビデは、泣きっ面に蜂といった状況で、苦難の中でシムイからの呪いを受けました。しかし、自分で復讐せず、相手にもしません。その背後には、神が正しくさばいてくださる、きっとよくしてくださる、という神への信頼がありました。

不当な扱いを受ける時こそ、神に目を向けてください。そこには状況によらない平安と慰めがあります。

 

受難節第12日:マタイ27章1~10

 

 

3月16日(水):第2サムエル記17章

14節「アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。『アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。』これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。」

確かにこの罪の世界には悪意や陰謀が満ちているかもしれません。しかし、神は不思議な方法で状況や人の心に介入してくださる方です。私たちが気付いていても、気付いていなくても、神様は確かに働いてくださいます。私たちの役割は、神に信頼し、神に期待し続け、日々歩み続けることです。

今日一日、あなたの歩みに神様の豊かな働きがありますように。

 

受難節第13日:マタイ27章11~26節

 

 

3月17日(木)第2サムエル記18章

4節「王は彼らに言った。「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう。」王は門のそばに立ち、すべての民は、百人、千人ごとに出て行った。」

ダビデは人を信頼し、人の言葉から知恵を得たり、悔い改めたりといった柔軟さがありました。人の意見や忠告、反論は耳に痛いかもしれません。誰にでもプライドだってあるでしょう。けれど、もしかしたら、その人を通して神が大切なことをあなたに語りかけているのかもしれません。今日一日、人の言葉に耳を澄ませてみてください。

 

受難節第14日:マタイ27章27~44節

 

 

3月18日(金)第2サムエル記19章

30節「メフィボシェテは王に言った。『王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです。』」

この時メフィボシェテはダビデ以上に誠実に振る舞います。彼は自分の利益や名誉以上に、神と人とに忠実でした。人の目には大したことのない存在であっても、たとえ状況が悪くなったとしても、彼の誠実な姿は、聖書にはっきりと記されています。状況や利害ももちろん大切です。けれどそれらを超えた誠実さが、私達の内にも育ちますように。あなたにとって、今日一日神と人とに誠実であるとは、どのようなことでしょうか?

 

受難節第15日:マタイ27章45~66節

 

 

3月19日(土)第2サムエル記20章

16節「そのとき、この町から、ひとりの知恵のある女が叫んだ。『聞いてください。聞いてください。ヨアブにこう言ってください。ここまで近づいてください。あなたにお話ししたいのです。』」

この女性は勇気と知恵を用いて、ヨアブから町を救います。神は、性別や年齢、経験によらず、勇気と知恵のある人を用いる方です。そして、その勇気と知恵とは神から来るのです。今日一日、私たちが神からの知恵と勇気をもって、誰かにとっての救いとなれますように。

 

受難節第16日:マタイ28章

 

 

3月20日(日)第2サムエル記21章

14節「こうして、彼らはサウルとその子ヨナタンの骨を、ベニヤミンの地のツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬り、すべて王が命じたとおりにした。その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」

ギリシャ人は、神を不変の方、人間の祈り求めになんら影響を受けない方と理解し、今日の私たちもその理解の影響を受けていると言われます。しかし、ユダヤ人の神理解は違います。神は私達の祈りに、心動かされる方、憐れみ手を伸ばしてくださる方です。神は私たちの祈りを聞き続け、必ず応えてくださるという意味で、不変の方です。神に熱く祈り続けましょう。神は必ず聞いていて、最善の方法で応えてくださいます。

 

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」ルカ11章9節

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