クリスマスのご案内+今週の聖書

クリスマス礼拝 12月19日(日)10時半~

クリスマスイブ礼拝 12月24日(金)10時~&18時半~

教会堂(大人15名程度)、ZOOM、携帯無料通話、などを利用して、参加が出来ます。

お問い合わせは 07055716102 または big-small@willcom.com までお願いいたします。

 

おざく台教会毎日の聖書 12月13日~

アドベント(待降節)に入りました。クリスマスの箇所をゆっくりと読み黙想してみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

12月13日(月)ルカ2章8~12節

11節「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」

「神様を信じているのに、神様は私に何も与えてくれない・・・」そう思ってはいませんか?天使が告げた「きょう」、とは2千年前のことです。神様は、すでに、わたし達にイエス・キリストを与えてくださいました。何より尊い贈り物をわたし達にくださったのです。

あなたはそのキリストを通して、どんな恵みを受け取りましたか?ゆっくり数えてみてください。そして思い返してください。あなたは、すでに、受け、愛され、祝福されていることを。

 

 

12月14日(火)ルカ2章13~14節

14節「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

あなたの心には平安が、あなたの周囲には平和がありますか?

キリスト教国同士の戦争が長引き、クリスマスの日になりました。向かい合う陣地から讃美歌が歌われ、互いに合唱となり、その日は戦闘が行われなかったというエピソードを聞きました。

平和とは、誰かにもらうのではなく、神がわたし達の内側にすでにその種を蒔いてくださったのです。神を見上げる心から、平安が、平和が始まるのです。

「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」(マタイ5:9)

今日一日、あなたの内に平安が満ち、その平和が周囲へも溢れ流れますように。

 

 

12月15日(水)ルカ2章15~20節

15節「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』」

羊飼いは天使からの知らせを無視することも可能でした。けれど、ベツレヘムへ急いだのです。そして、幼子キリストを、ついにうまれた救い主を「捜し当てた」(16節)のです。そして、周囲の人々に「この幼子について告げられたことを知らせた。」(17節)のです。(仕事柄宗教的な規則を十分に守れない羊飼いの証言は、当時信用されなかったのにも関わらずです。)

わたし達もまた、救い主誕生の知らせを受け取った、と言う意味でこの羊飼い達と同じです。受け取った神様の語りかけに、どのように応える一日としましょうか?

 

 

12月16日(木)ルカ2章21~35節

45節「剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」

神と出会うと、イエスと出会うと、私たちの心の本当の思いが現れます。

ヘロデ王のように、自分こそが神であろうとする高慢さ。宗教家や放蕩息子の兄のように、自分だけが尊ばれたいという嫉妬心。弟子たちのような、神より自分を優先し逃げ出す弱さ。金持ち青年にとっての財産のように、神でない何かを神とする偶像礼拝の心。

けれどそれでいいのです。そこから本当の救いが、神との出会いが始まるのです。その現れた本当の思いさえも神の前に差し出して、裸で神と出会えばいいのです。

 

12月17日(金)ルカ2章36~40節

40節「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。」

その後には、『イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。』52節とあります。神の守りの中にありましたが、わたし達と同じく成長を必要としたのです。

立派で神々しい姿で到来することも、すでに成長した成人の姿で地上に降りてくることも出来たでしょう。けれど、神は、力無き、誰かの手を借りなくては生きられないような幼子の姿でわたし達のところに来ることを選ばれました。そして、わたし達と同じく、毎日の苦労も、離別の悲しみも、体験されたのです。

そしてその公生涯は、誤解と、攻撃と、裏切りと、恥と、痛みが溢れていました。わたし達の神様は、わたし達の悲しみや苦しみを、身をもってご存知で、肩を抱いて寄り添うことの出来る方なのです。

 

 

12月18日(土)ヨハネ1章1節

1節「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

ヨハネ福音書では、クリスマスの具体的な出来事は語られませんが、クリスマスに生まれた幼子が、実は誰であったかを詩的に表現しています。その方は、はじめからあり、神とともにあり、神ご自身でもありました。

そのことばが、クリスマスに、私たちの世界に来たのです。この幼子の存在は、まさに神の言葉、神からのメッセージそのものでした。

この人を見よ、この人に信頼せよ、この人にすべてを打ち明けよ、この人の御跡に従え、聖書はキリストへとあなたを招きます。

あなたは、神様からのメッセージそのものであるイエス・キリストを、今日一日どのように受け止めますか?

 

 

12月19日(日)ヨハネ1章2~3章

3節「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」

あなたは、あなたの周囲の人は、神によって心を込めて造られた存在です。神様や信仰に無関心な人もいるでしょう。罪や悪に心を向けている人もいるでしょう。けれど、神様が創造し他の出ない人は、神様が愛していない人は、神様に無関係な人は、実は一人もいないのです。

今日、周囲の人が神様と出会えるように、特に神様から遠そう、とあなたが思っている(思い込んでいる?)ひとのために、とりなして祈ってみてください。

 

 

 

 

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