毎日の聖書8月18日〜

おざく台教会毎日の聖書 8月18日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

8月18日(月)第1列王記13章

18節「彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と言って命じました。」こうしてその人をだました。」

この人は18節で偽りの神の言葉を語り、21節で本当の神の言葉を語ります。これは私達クリスチャンの姿でもあります。残念ながら、信仰者の言葉にも、私達自身の言葉に、偽りや悪意が含まれてしまうのです。良い意味で、人も自分も疑いましょう。常に神の言葉と照らし合わせつつ歩んでください。

8月19日(火):第1列王記14章

13節「イスラエルのすべてがその子のためにいたみ悲しんで葬りましょう。ヤロブアムの家の者で、墓に葬られるのは、彼だけでしょう。ヤロブアムの家で、彼は、イスラエルの神、主の御心にかなっていたからです。」

残念なことに、ヤロブアムの家の中で、神の心にかなっていたのは子どもだけでした。私たちもまたヤロブアムの家と同じかもしれません。だからこそ、自分が愚かで神に背く者だと自覚し、へりくだりたいのです。私達が自分の小ささを知って歩むこと、神にすがって歩むこと、それもまた御心にかなう歩みなのですから。

8月20日(水)第1列王記15章

14節「高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、全く主と一つになっていた」

アサには不十分さや過ちはありましたが(高き所とは、偶像礼拝の場所です)、精一杯神に従おうとしました。その姿勢を指し、心が全く主と一つに、と言われたのです。不十分なままでも、未熟なままでも、完ぺきでなくとも、良いのです。今日一日、あなたなりに精一杯神に従ってください。

8月23日(木)第1列王記16章

2節「わたしはあなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。」

多くの王が「ヤロブアムの道」を選んだと記されています。それは、高慢と不信の道、自己中心で神以外を拝み従う道です。王たちは信仰者でした。私達よりずっと聖書に精通していました。それでも、道を誤ってしまうのです。

今日一日私達が歩む道は、の道でしょうか?ヤロブアムの道でしょうか?一日の中で、時々立ち止まって、自分がどのような道を歩んでいるか、問うてみてください。

8月24日(金)第1列王記17章

9節「そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」

預言者エリヤの苦労を見れば、本気で神に従う道は決して良いことばかりではないと分かります。むしろ苦労や損ばかりで、心も身体も疲れ果てました。しかし同時に、どんな時も神の養いと慰めと報いが用意されていました。

感情的には、みなさんに平穏で楽な道を選んでいただきたい思いもあります。けれど信仰によってお願いします。神に従う道を選んでください。その道には苦労もあるでしょうが、神の支えと養いがあり、なにより素晴らしい報いがあるのですから。

8月25日(土)第1列王記18章

21節「エリヤはみなの前に進み出て言った。『あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。』しかし、民は一言も彼に答えなかった。」

 

私達の人生は選択の連続です。特に、何を神とするかについては、無回答や複数回答はできません。イエスが「神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24共同訳)と言われたのを思い出します。あなたが耳を傾け、従っている、あなたの神は何ですか?あなたの心を占め、あなたが力や時間を喜んで捧げるあなたが本当に神としているものは何でしょうか?今日一日、主を神とし、いのちを、祝福を選んで歩むことが出来ますように。

 

「私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」申命記30章19節

8月26日(日)第1列王記19章

11~12節「風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。」

人は4つの声を聞くと言われています。自分の声、人の声、悪魔の声、神の声。3つの声は大きく響き耳障りも良いかもしれません。しかし神の声は、小さくか細い時もあります。あなたの心が静かでないと、あなたが耳を澄ませていないと、上手に聞き取れないことが多いのです。一方的に願いを語るだけでなく、慌ただしく一瞬だけ耳を傾けるのでもなく、ゆっくりと静まり、耳を澄ませてみませんか?

「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」ローマ10章17節 

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