毎日の聖書4月14日〜

おざく台教会毎日の聖書 4月14日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

4月14日(月)申命記25章

13~14節「あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。あなたは家に大小異なる枡を持っていてはならない。」

不正をしてはならないという教えですが、これは決してお金のことだけではありません。自分に都合よく意見を変ること、話を曲げること、人によって態度を変え利益を得ようとすること、ありませんか?どうかいつも神の前と人の前で、誠実を貫いてください。神がきっとよくしてくださるのですから。

 

「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。」詩編37篇3節

4月15日(火)申命記26章

7節「私たちが、私たちの父祖の神、主に叫びますと、主は私たちの声を聞き、私たちの窮状と労苦と圧迫をご覧になりました。」

神は不忠実な民の叫びでも聞いてくださる方です。たとえ私達が、正しくないままでも、汚れたままでも、罪深いままでも。私達の功績でなく、ご自身の愛ゆえに、神は叫びを聞いてくださいます。今日、あなたは神に何を叫びましょうか。

 

「私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。」詩編77篇1節

4月16日(水)申命記27章

26節「民はみなアーメンと言いなさい」

「アーメン」とは「確かです」という意味で、神の言葉に対し、「その通りです。」と応答する言葉です。簡単に口に出来ますが、最も重い言葉です。神は今日、どの聖書の言葉をあなたの心に響かせてくれていますか?信仰によりアーメンと応えてみてください。

 

「神の約束はことごとく、この方において『しかり』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです。」第二コリント1章20節

4月17日(木)申命記28章

2節「あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」

28章には祝福と呪いが記されています。神はエジプト(罪)の奴隷生活という呪いの中から救い出し、祝福への道を開いてくださいました。同じように神は私達を罪と死の中から引きあげ、罪しか選びえなかった私達に、祝福を選ぶことを可能にしてくださいました。私達の目の前には、いのちと死、祝福と呪いが置かれています。私達はいのちを、祝福を、選ぶことができるのです。

 

「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。」申命記30章19~20節

4月18(金)申命記29章

29節「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。」

疑問に思うこと、明確な答えが出ないこと・・・たくさんあるかと思います。残念ながら、人間は全てを知ることは出来ませんし、その答えが出ないうちは立ち止まるという訳にもいきません。悩みつつも毎日は続いていきます。

しかし、はっきりとしていることがあります。神を愛し、み言葉を愛することが、人にとって祝福の道であるということです。分からないことがあっても、神を愛し従う道を、今日も明日も選び続けましょう。やがての日には、イエス様にいろいろと聞いてみたいですね。

 

「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。」詩編131篇

4月19日(土)申命記30章

11&14節「まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。・・・みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」

神の祝福、永遠の命は、海のかなたや世界の果てに探しに行くものではありません。もうすでに私達は神から受け取っているのです。後はみ言葉に従い、祝福を味わうのです。新しい一週間にむけて、聖書の言葉を一つ選び、それを行う日としてください。

 

「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。」第一ヨハネ3章18節

4月20日(日)申命記31章

2節「私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。主は私に、『あなたは、このヨルダンを渡ることができない。』と言われた。」

人々を導きつつも、約束の地に入れなかったモーセ。(体力的にも、民の信仰的自立の意味でも、必要なリーダー交代だったのでしょう)最初は戸惑い、失望しますが、神様と共に歩み続け、ヨシュアを指導者として育て、全てを託しました。自分の願いと、神の計画が、完全にぴったりとは重ならないことがあります。そんな時、思い返してください。神様は良い方です。私達の思い描く計画よりも、さらに素晴らしい計画を用意できる方なのです。

そして、忘れないでください。モーセは約束の地以上に素晴らしい、神の国に入ったことを。イースターおめでとうございます。

 

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29章11節

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