毎日の聖書4月7日〜

4月7日(月)申命記18章

18~19節「わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしが彼に責任を問う。」

ここはメシア(キリスト)預言の箇所です。自分の言葉や人の言葉は、疑って聞くことも大切です。しかし、キリストの言葉・神の言葉だけはそのまま受け止めてください。曲げず、差し引かず、そのまま従ってください。それはあなたをいのち溢れる歩みへと導くのですから。

 

「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」エレミヤ書15章16節

4月8日(火)申命記19章

21節「あわれみをかけてはならない.目には目、歯には歯、手には手、足には足。」

裁判での偽りの証言に対する処罰は厳しいものです。十戒でも第九戒(出エジプト記20:16)で偽証が禁じられています。神は偽りを嫌われますし、偽りの背後には人に害を加えようとする悪意があるからです。

私たちは、裁判で偽証をする機会こそないかもしれませんが、私達の言葉の底には、人に害を与えるような悪意があります。そんな私達のために、キリストは死なれたのです。私達の罪と悪に対して、十字架で、愛と赦しで答えてくださったのです。

 

「『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」マタイ5章38~39節

4月9日(水)申命記20章

8節「「恐れて弱気になっている者はいないか。その者は家に帰れ。戦友たちの心が、彼の心のようにくじけるといけないから。」

厳しいようですが、恐れた者が自分の恐れをまき散らし、全体がくじけ、約束の地に入れなかった出来事(民数記13~14章)からの教訓です。恐れは感じて当然です。しかし、恐れに支配されてはなりません。家に帰ること、恐れをまき散らさず身を引くこともまた知恵なのです。ただし、身を引いた場で神と向き合うのです。そして、神様から勇気をもらい、また立ち上がってください。

 

「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」第二コリント4章16節

4月10日(木)申命記21章

3節「木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。」

死刑にされ、わざわざ吊るされる。呪いの宣言であり、見せしめです。古代においては、神に裁かれ見捨てられたという宣言でもありました。

あなたは、人をこのようにしたい(苦しんでほしい、神に裁かれてほしい)と思ったことはありませんか?(ありますよね?)しかし、私達の、人間すべての悪意や呪いを全て引き受け、キリストが十字架で代わりに呪われ、神に見捨てられてくださったのです。ですから、私たちはもう人を呪ってはなりません。私達はキリストのゆえに、呪いの心から解放されているのですから。

 

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。」ガラテヤ3章13 節

4月11(金)申命記22章

22節「夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男もその女も、ふたりとも死ななければならない。あなたはイスラエルのうちから悪を除き去りなさい。」

聖なる神様が罪と悪を嫌われるのはもっともです。同時に、キリストはこのような罪を犯した女性(ヨハネ8章)を赦し、彼女が受けるべき石(罰)を十字架で引き受けました。

キリストは死罪にあたる女性に、「これからは、決して罪を犯してはなりません。」と諭します。キリストのゆえに、私達はやり直しができるのです。悪や罪は、隠すのでなく、責めるのでもなく、赦し、赦され、取り除くのです。

 

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」第1ペテロ2章24節

4月12日(土)申命記23章

5節「あなたの神、主はバラムに耳を貸そうとはせず、かえってあなたの神、主は、あなたのために、のろいを祝福に変えられた。あなたの神、主は、あなたを愛しておられるからである。」

人があなたを呪おうとしても、神はあなたを守り、祝福されます。神があなたを愛しているからです。

一方、あなたはバラムのように、人を呪おうとしていませんか?神は、あなたが呪おうとする人をも愛しておられます。人を呪うのは人間の常ですが、あなたは人を呪ってはいませんか?まず、あなた自身が呪う人から、祝福する人に変えられるよう祈ってみてください。

 

「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。」ローマ12章14節

4月13日(日)申命記24章

14節「貧しく困窮している雇い人は、あなたの同胞でも、あなたの地で、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人でも、しいたげてはならない。」

支援の手を指し伸ばすべきは、同族でも在留外国人でもです。その人が支援に相応しいかでもなく、あなたの気持ちや感情でもなく、神がその人を気にかけておられることが大切なのです。そのような人は近くにいますか?神の子であるあなたは、どう天の父の心に応答しましょうか?

 

「もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、『安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい』と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」ヤコブ2章15~17節

 

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