毎日の聖書4月1日〜

おざく台教会毎日の聖書 日~

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

(月)ルカの福音16章  

13 節「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」 

 私たちが求める、財産、健康、名誉、立場、大切な人、貴重品、嗜好品、娯楽、趣味、これらは良い物です。しかし、時にこれらが私達の主人となり私達の考えや行動を支配し、生き方をおかしくしてしまうこともあるのです。私達の主人は神様だけであり、私たちの行動基準はいつも神の慈しみと憐れみなのです。

日(火)ルカの福音

20〜21神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

 神の国は、より原語に近い意味では、“神の支配”という意味です。どこかの土地と言うよりは、神の良い御心が実現している領域を指します

 イエス様は、エルサレムや、神殿や、会堂を指して言ったのではなく、罪や愚かさのある私達を指して『神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。』 と言いました。

 私達の心や考えに、人間関係に、家庭、学校、職場に、神の国が来ますように、私達の毎日に、神の良い心が実現しますように。

日(水)ルカの福音18

41 彼が近寄って来たので、『わたしに何をしてほしいのか』と尋ねられると、彼は、『主よ。目が見えるようになることです』と言った。

 彼が盲目であることは明らかです。それなのに、イエスはあえて彼にその願いを尋ねました。彼が何を求めるか、彼の信仰を見たかったのです。(盲目の彼には、人々が彼に施しをしてくれるお金の量を増やしてほしい、と願うこともできたのです。)

 あなたは、イエスに何を願い求めているでしょうか?諦めの中で、『このくらいなら神様でも聞いてくれるのではないか?』というある程度のことばかり求めてはいないでしょうか?今日、あなたの本当の必要を、言葉にして、イエスに願い求めてみてください

日(木)ルカの福音

8〜10 ザアカイは立って、主に言った。主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。イエスは、彼に言われた。きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。

 変えられたザアカイを見て、主は言いました。救いとは、罪赦され、神の子とされること、永遠のいのちを得ること、やがて天国に入れられる、という素晴らしいことを含みますが、それだけでとどまらず、恵みと憐れみに富んだイエスに、心も、考えも、行動も似せられていくことも含むのです。
 今日一日も、救いが私達一人ひとりに実現していきますように。

日(金)ルカの福音20

するとイエスは、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい」と言われた。

 たくさんの良い知らせを語ったイエス、新たに語るのを拒まれました。それは、すでに語られていたエスの言葉に対し、宗教学者達が不誠実だったからです。

 ある牧師はこの箇所から、『すでに示されている真理に対して忠実でなければ、新たな心理は示されない。』と、説教で語っていました。

 私達は、それぞれが自分に語られている神の言葉に対して誠実に応えてきたでしょうか?たくさんの大切な言葉を棚に上げながら、都合の良い言葉だけを求めていないでしょうか?

 少し、問い直してみて、示されたものがあれば、まずすでに語られていることにしっかりと応えてみてください。

日(土)ルカの福音21

〜3また、ある貧しいやもめが、そこにレプタ銅貨二つを投げ入れているのをご覧になった。 それでイエスは言われた。『わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。』

 20章で、祭司長、律法学者、長老と語り合ったイエスは、この貧しい女性を、真の礼拝者と認めました。彼女の投げ入れる額ではなく、彼女の心をご覧になったからです。 (人はうわべを見るが、主は心を見る。第一サムエル記16章7節)

 神は、私達の出来不出来や成果ではなく、私達の心根をご覧になってくださいます。下手でも、不器用でもよいのです、精一杯の心を込めて、毎日を生きてください。

日(日)ルカの福音22

31〜32 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 私達の日々には、悩みは尽きず、誘惑は多く、心は消耗し、失望し、信仰の歩みを諦めたくなる時があるかもしれません。そんな時は、思い出してください。主イエスがご自分を裏切るペテロのために、先に祈っていたように、イエスすでにあなたのために祈っておられることを

 

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