毎日の聖書2月19日〜

おざく台教会毎日の聖書 2月19日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

2月19日(月)マタイの福音25章  

40節「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

 マザー・テレサは、道端に倒れる異教徒のうちにキリストを見、その人達に寄り添い仕えました。上から目線で助けてあげたのではなく、キリストに仕えるように関わらせていただいた、というイメージでしょうか。小さい者は、見下され、片隅へと追いやられた人を、神ご自身が尊んでおられるのです。キリストはそのような人と共にいました。あなたの周囲の「最も小さい者達」は誰でしょう。あなたはどうその人に、そしてキリストに、仕えましょうか?

2月20日(火)マタイの福音26

42節「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」

 私達の神は「運命をもてあそぶ気まぐれな神」ではなく、私達に最善をなしてくださる良い父です。イエスはこの良い方に信頼し、みこころがなるように祈りました。不安定な状況の中でこそ、私達が神を、わたし達の天の良い父を、どういう方として理解しているのかが、問われてくるのです。

 

2月21日(水)マタイの福音27

4節「自分で始末することだ。」

 自分の罪は自分で始末しろ、これこそがユダを死に追いやった悪魔の声です。罪を自分の努力や行為で何とかしようとしていませんか?罪とは、キリストの身代わりの十字架以外は解決できません。キリストこそが私達の罪を始末してくださるのです。

2月22日(木)マタイの福音28

20節「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

 コロナ禍の中で、私達は人と人とのつながりを断たれました。また、私達自身の罪や弱さ、至らなさが、他者とのつながりを断ち切ることもあります。しかし、コロナも、私達の罪や愚かさも、私達とキリストとのつながりを断ち切ることは出来ません。キリストはどんな時も、どんな場所でも、いつも私達と共にいてくださるのですから。

 

2月23日(金)マルコの福音書1章

11節「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

 この喜ぶは、尊く見える、という言葉が使われています。イエスが一つの説教も奇跡もする前から、神はイエスを尊び喜んだのです。同じように何をしたか(Doing)や何を持つか(Having)以上に、私達の存在そのもの(Bring)が、神の喜びなのです。

 

 

 

2月24日(土)マルコの福音

15節「取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大えいいて、イエスに従っていたのである。」

 「自分なんてダメだ!」と思っていませんか?キリストの周りは、正しく歩めない人でいっぱいでした。キリストは『こういう人たち』を拒まず、彼らの中に飛び込み、招き、共に過ごす中で、彼らを造り変えました。キリストは今日もあなたに関わってくださるのです。

2月25日(日)マルコの福音3

13節「イエスは山に登り、ご自分のみになる者たちを呼び寄せ」

 イエス様は、漁師、取税人、熱心党員(革命勢力)『お望みにな』り、呼び寄せました。イエス様の選びは本当に不思議です。そしてイエス様はあなたのことも選びました。謙遜と過小評価は違います。イエス様があなたを望まれたのです。あなたは神様から大いに期待されているのです!

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