毎日の聖書7月3日〜
おざく台教会毎日の聖書 7月3日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
7月3日(月)イザヤ書44章
5節「ある者は『私は主のもの』と言い、ある者はヤコブの名を名のり、ある者は手に『主のもの』としるして、イスラエルの名を名のる。」
ハイデルベルグ信仰問答
問1:生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか?
答:わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。
あなたは、いつでも、なにがあっても、神の宝物です。
7月4日(火)イザヤ書45章
22節「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」
1850年1月6日、教会にやって来た青年に、無学な信徒説教者はこの箇所から「イエス・キリストを見よ!」と叫びます。この時回心した青年が後の名説教者スポルジョンです。「誰でも仰ぎ見るだけで救われる。何と素晴らしい福音だろう」スポルジョンはそう語ります。私達の今日一日が、キリストを仰ぎ見る一日となりますように。
7月5日(水)イザヤ書46章
3〜4節「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。なたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」
幼子が母に背負われるように、私達は、生まれる前から神に背負われているのです。今までも、そしてこれからも。この4節の素晴らしい約束を暗唱し、今日一日思い返しつつ歩んでてみてください。
7月6日(木)イザヤ書47章
8節「だから今、これを聞け。楽しみにふけり、安心して住んでいる女。心の中で、『私だけは特別だ。私はやもめにはならないし、子を失うことも知らなくて済もう』と言う者よ。』」
男女を問わず、私達の内側には、自分を特別視し、神を軽んじる高慢の霊が巣食っています。A.マーレーは名著「謙遜」の中で、高慢こそ罪の源だと記しています。特別なのは、神でありながら十字架の死にまで遜られた、誰より謙遜な方、キリストだけです。
7月8日(金)イザヤ書48章
12節「わたしに聞け。ヤコブよ。わたしが呼び出したイスラエルよ。わたしがそれだ。わたしは初めであり、また、終わりである。」
神は、創造者であり、完成者です。あなたの生涯を始められた方は、必ずそれを完成させてくださいます。この方は今日もあなたを通し素晴らしいことを成し遂げてくださるのです。
7月9日(土)イザヤ書49章
15〜16節「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」
難しい状況の中で孤独を、不安を、失望を感じる時、この言葉を思い返してください。あなたは神の手のひらに刻まれています。神は必ずあなたを、助け救ってくださいます。
7月10日(日)イザヤ書50章
4〜5節「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、」
しもべの歌と呼ばれる個所です。困難の中に置かれつつもしもべは動じません。神への信頼は揺らぎません。神のしもべである私達もまた苦難の中でこそ神への信頼を告白したいのです。「神である主は私を助けてくださる。」(7節)と。