毎日の聖書5月22日〜

おざく台教会毎日の聖書 5月22日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ

 

5月22日(月)イザヤ書2章

4節主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。

 平和に関して教会で語られる時に引用される個所です。現在広島でサミットが行われています。国際協力や、平和憲法、など様々な努力も必要であり、私達は切に祈りたいと思います。。しかし、本当の平和とは、一人一人が神の前に遜るところから始まるのです。まずあなたが神の前にひざをかがめるところから平和を始めてください。

 

 

5月23日(火)イザヤ書3章

1節まことに、見よ、万軍の主、主は、エルサレムとユダから、ささえとたよりを除かれる。

士師記のギデオンの時(士師記7:1~8)のように、神は私達の支えと頼みを取り除き、神ご自身にのみ頼らせようとする時があります。状況が悪くなった時、それはもしかしたら神様がより深い関係へとあなたを招いているのかもしれません。深呼吸して、天を見上げ、神に祈ってみてください。。

 

 

5月24日(水)イザヤ書4章

2節 その日、主の若枝は、麗しく、栄光に輝き、地の実は、イスラエルののがれた者の威光と飾りになる。 シオンに残された者、エルサレムに残った者は、聖と呼ばれるようになる。みなエルサレムでいのちの書にしるされた者である。

 その日とは、神がこの世界に介入してくださる希望の日です。それは、キリストにおいて「すでに」成就し、また「やがて」完全に成就します。暗い闇の中を歩き続けるような毎日でも、希望の朝は、「その日」は必ず来るのです。

 

5月25日(木)イザヤ書5章

20〜21節「ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。 ああ。おのれを知恵ある者とみなし、おのれを、悟りがある者と見せかける者たち。」

 個人の権利や多様性への尊重を求められる時代、教会は社会からの激しい同調圧力にさらされます。全ての人は尊いのです。しかし、罪を義と、悪を善とすることはまた別なのです。愛と謙遜をもって、恵みと憐れみに満ちた神の真理を語れますように。

5月26日(金)イザヤ書6章

7節「彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」

 この宣言の時イザヤは何かをしたでしょうか?いえ、ただ神からの一方的な浄めを受けただけです。私達も同じように何もしていません。ただ、キリストの十字架の血潮により、洗われ、赦されたのです。あなたは神からの一方的な恵みにより、愛されているのです。

 

 

5月27日(土)イザヤ書7章

14節「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

 私達の救い主には代表的な2つの名があります。一つはイエス(神は救う)、もう一つはインマヌエル(神は共にいる)。神が今日もあなたと「共にいて」くださること、これこそが何よりの「救い」なのです。

 

 

5月28日(日)イザヤ書8章

8節「その広げた翼は、インマヌエルよ、あなたの地をおおい尽くす。」

 今日を明日を、あなたはどこで過ごしますか?職場、学校、地域、家庭、あなたのいるその場にも、神の広げた翼は及ぶのです。神の臨在は、守りは、助けは、祝福は、今日も明日も、あなたと共にあります。

 

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