毎日の聖書2月27日〜

2月27日(月)詩篇141篇

3節「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」

 私達の内側には罪の性質があり、神に造られた良い性質もあります。その内側からの言葉が口を通り外に出て行きます。わたし達の言葉が人を呪ったり傷つけたり、人を祝福したりいやしたりするのです。神の子として、言葉を大切にしたいと思います。神が自分の言葉の守ってくださるよう、発する前に祈ってみてください

 

「私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。」ヤコブ3篇9~10節

 

 

2月28日(火)詩篇142篇

5節「主よ。私はあなたに叫んで、言いました。『あなたは私の避け所、生ける者の地で、私の分の土地です。』」

 ユダヤ人にとって、土地とは何より大切なもの、一番の宝でした。しかし詩人は、それらが得られない状況でも、神を呪うのではなく、神ご自身こそが喜びだと告白します。富や土地や名声は、それ自体は良いものであり、この地上での喜びです。しかし、わたし達にとって最大の喜びは、神ご自身なのです。そして、あなたはすでにその方と出会っているのです。

 

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6章33節

 

 

3月1日(水)詩篇143篇

2節「あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです。」

 自分の知識、熱心、功績で、神の前に胸を張って立とうとしていませんか?逆に、過ち、至らなさ、不十分さによって神の前に立てないと思ってはいませんか?私達を神の前に立たせてくださるのは、ただ一人、わたし達のために死なれたイエス・キリストのみです。

 

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3章23~24節

 

 

3月2日(木)詩篇144篇

3節「主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」

 あなたは自分をどのようなものと見ていますか?つまらない存在、価値のない存在、放って捨てられる存在、そんな風に考えてはいませんか?あなたのために、神が人となり、貧しくなり、十字架にまでかかりました。主イエスの痛み、悲しみ、苦しみはあなたのためでした。神の目には、あなたはそれほどまでに尊いのです。

 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43章4節

 

 

3月3日(金)詩篇145篇

8節「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。」

 神は正しく歩めない私に怒っている、立派でない歩みなので申し訳なく神に祈れない、そんな話をよく聞きますが、謙遜なようで、実際は神を誤解しています。神の憐みはあなたの想像を超えて、広く、高く、大きく、深いのです。神はあなたがどれほど罪深くても、変わらずにあなたを招いていているのです。

 

「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」エペソ3章17~19節

 

 

3月4日(土)詩篇146篇

2節「私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。」

 主を讃える方法は、礼拝での賛美歌だけでしょうか?いえ、私達の一挙手一投足が、神への賛美に、私達の瞬間瞬間が、神への賛美や礼拝になりえるのです。ウェストミンスター小教理問答第一問『人の主な目的は、何ですか。』答『人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。』あなたの今日一日を、神への捧げ物としてみてください。

 

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」ローマ12章1~2節

 

 

3月5日(日)詩篇147篇

3節「主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。」

 誰にも言えない心の痛み、過去に追った深い傷はありますか?その痛みや傷は、放っておくと、あなたの道を歪ませ、隣人を傷つけます。祈りの中で神様に打ち明けてみませんか?時間はかかるかもしれませんが、主が包み、必ず癒してくださいます。

 

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」詩篇139篇23~24節

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