1月30日のメッセージ

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2022年1月30日「こころの泉を見張る②~あなたが誰かを決めるのは~」Ⅰサムエル記

 

<ファミリータイム>

10:1 サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。』 ・・・15:1 サムエルはサウルに言った。「主は私を遣わして、あなたに油をそそぎ、その民イスラエルの王とされた。今、主の言われることを聞きなさい。・・・

15:17 サムエルは言った。『あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油をそそぎ、イスラエルの王とされました。』 15:18 主はあなたに使命を授けて・・・

 

<聖書>

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」ヨハネ15章16節

 

<あなたの聞く声は?>

サムエル記を、こころの泉を見張る、というテーマで読んでいます。(箴言4:23 新改訳「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」・新共同訳「何を守るよりも、自分の心を見守れ。そこに命の源がある。」)

 

人は4つの声を聴くと言われます。自分の声、他人の声、悪魔の声、神様の声。(立ち止まって自分の内側の声に耳を澄ますこと、他人の声に注意深く耳を傾けること、とても大切です。けれど、人は罪の影響を受けていますので、自分や他者の弱さや過去の傷から出た、不安や妬み、悪意が含まれるときもあります。ですから、賢さをもって聞く必要があるのです。)

あなたはどの声によって、自分自身を理解しているでしょうか?あなたの心は、どの声に影響されているでしょうか?サウル王ははとても優れた人物でした。けれど、何より大切な神様の声を聴き忘れてしまった人でもありました。そのために、自分の声に、そして他者の声に、振り回されてしまったのです。

 

<サウルが聞き逃した声>

サウルは、背丈は頭一つ抜きんでて、美しいまでの容姿を持った人物でした(9:2)。最初の王様として神様が信頼してくれた人でした。けれど、彼は恐れたのです。なぜなら、12部族の中でもベニヤミン族という小さな部族の小さな家に属し(9:21)、自分を小さな存在だと考えていたのです。(もっと大きな部族なら、人脈があれば、知恵があれば、能力があれば、状況が良ければ、王の役目が出来るのでしょうか?)

 

だから、サムエルは最初に言うのです。(10:1)神があなたを選んだのですよ、と。あなたが自分で選んだのでも、他の人が任命したのでもないですよ、それを忘れずに歩みなさい、と。

最後の晩餐のイエス様の言葉を思い出します。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(第一ヨハネ15:16)

キリストは、自他ともに認める小さな存在であった弟子たちに、そして、私たちにこのように語りました。神が選んでくださった、神が愛してくださった、これが私たちの出発点です。

 

最初サウルは、一部の人から、王にふさわしくないと批判されますが、黙って受け止めます(10:27)。後で良い結果が出ても、批判した人に復讐しませんでした。人よりも神様に耳と心が向いていたのです(11:12~13)。

けれど、王としての時間がたつ中で、様子が変わってきます。古代では戦いの前に動物の犠牲をささげ、戦勝祈願をしていたのですが、それは預言者サムエルの仕事と定められていました。状況は悪く、民の心が自分から離れるのを見て、サウルは自分で犠牲を捧げます。人の反応を恐れ、自分の不安の声に動かされたのです。

 

そして、15章では、あなたは神が選んでくださった王だよ、だから・・・と、念を押されて命令を受けたのに(15:1)、人の反応を恐れ、神様が手を出すなといったものまで、自分と民のものとしてしまうのです。

人の言葉に動かされていたサウルは、民は(15:15)、民は(15:21)、と他者のせいにし続けます。彼自身が、「私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。」(15:24)と言った通りです。

ダビデが罪を犯した時ただ一言「私は主に対して罪を犯した。」(第二サムエル12:13)と言ったのと異なり、「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主を礼拝させてください。」(15:30)と最後まで、自分の面目と、人々の声に気が向いているのです。

 

もちろん人の声は大切です。モーセは、ミデヤン人の姑イテロのアドバイスを謙遜に聞きました。ダビデは預言者ナタンからの罪の指摘をしっかりと受け止めました。

彼らは他人の声を正しく聞くことができました。なぜなら、彼らは神の声により自分は誰なのかを分かっていたからです。だから揺らがなかった。謙遜に、知恵を受け入れたり、罪を認めたりできたのです。

 

一方、サウルは、自分が誰かを見失っていました。だから、人の声や反応で自分は誰かと決めようとして、人の反応に激怒したり、人に媚びたり、優れた人に妬んだりしたのです。

皮肉なことに、サウルが自分を見失った時も、ダビデはサウルについて言っています。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」(第一サムエル24:6、26:9~11)

 

<あなたは神の子>

私たちは自分を見失っていないでしょうか?神様の声はあなたを誰だというでしょうか?

神様は私たちの頭に、油注ぎ(第一ヨハネ2:27)言うのです。

「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」(マルコ1:11・ヨハネ1:12)

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。」(申命記7:6、14:2)

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」エペソ2:10

「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」第一ペテロ2:9

 

あなたは、神に愛され、選ばれ、期待されて神の子、宝として、最高傑作として、王として、祭司されました。もちろん完ぺきではないので、自分で自信が持てない時、他者から非難やご指摘をいただくこともあるでしょう。ですからそれらの声を正しく受け止めるためにも、何よりもまず、神の声によって自分は誰かを確認してください。私が誰かを教えてくれるのは、私を造られた方だけなのですから。

<今週の黙想>今日の聖書の言葉に耳を傾け、毎日をスタートしてください。

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