毎日の聖書12月20日~26日

おざく台教会毎日の聖書 12月20日~

アドベント(待降節)に入りました。クリスマスの箇所をゆっくりと読み黙想してみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

12月20日(月)ヨハネ1章4節

4節「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」

この2021年。あなたは心が、魂が、涸れ果て、力なく、いのちを失ったかのように感じるときがありましたか?そんな時は、思い出してください。キリストを信じ受け入れているなら、あなたの内側には、もうすでに「いのち」があるのです。

福音書記者は言います。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(3章16節)

あなたの内側にはキリストが、永遠のいのちそのものである方が、宿っているのです。あなたは決して、涸れ果てることも、滅びることもないのです。

 

 

12月21日(火)ヨハネ1章5~8節

5節「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」

私達は暗闇の中を歩いているように感じる時もありますし、自身の内側の深い闇に失望する時もあります。けれど失望しないでください。光はやみの中に輝き、やみは光に打ち勝たなかったのです。

キリストは言われました。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(8章12節)

暗闇のような状況へでなはく、自分の内側の深い闇へでもなく、どうか光であるキリストにこそ目を向けてください。

 

 

12月22日(水)ヨハネ1章9~10節

9節「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」

2千年前にも、富、様々な楽しみ、快楽まで、ローマ帝国とその文化が提供する光がありました。それらは、心の闇を一時的には照らしてくれるかもしれませんが、限りある、偽りの光でした。人々はそれらを一生懸命求め、一部の力や地位や財産のある人がその恩恵を享受していました。

けれども聖書は、キリストこそが「すべての人を照らすまことの光」だと言うのです。光であるキリストは、限りなく、差別せず、条件を付けず、私達すべてを照らすことができるのです。

あなたは何によって、自分の暗い心を明るく照らし、温めようとしていますか?静まって祈り、聖書を開き、神に対して心の戸と窓を開いてみませんか?神の光があなたを照らしてくださいますように。

 

 

12月23日(木)ヨハネ1章11~13節

12節「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」

あなたはキリストの十字架を自分のためとして受け入れていますか?イエスこそが自分を罪と死から救ってくださる救い主だと信じていますか?

それならばあなたはすでに神様の子どもです。救われ、赦され、神との永遠の絆を持ち、神の国が約束されているのです。そして、父なる神の特別な恩寵を日々受けているのです。

ルカ15章の放蕩息子のお話を読んでみてください。あなたが自分自身をどう見るかも重要ですが、父があなたをどれだけ尊び愛しておられるかが何よりも大切なのですから。

「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」ルカ15:20

 

 

12月24日(金)ヨハネ1章14~15節

14節「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

「住まわれた」は「幕屋を張った」という言葉です。出エジプトの荒野で神が民と共にあったように、私達と共にいてくださるために、約2千年前のこの夜に、神が人となってきてくださったのです。

そして、その方は十字架の死からよみがえり、最後にこう宣言されました。「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

今までも、今日も、これからも、神はあなたと共におられます。

 

 

12月25日(土)ヨハネ1章16~18節

17~18節「恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

「恵みとまこと」は旧約聖書から繰り返される重要語句であり、「神の変わらない約束の愛」を意味します。神の愛を人々は拒み、軽んじ続けましたが、神はとうとう神の子キリストを私たちに送ることによってまで、その愛を貫き通しました。

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:3)神は私達を「愛する子」と呼び、キリストは私達を「友」と呼び命を懸けて関わってくださったのです。

 

12月26日(日)黙示録21章1~4節

3~4節「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

クリスマスにキリストが生まれてくださった目的が、この黙示録の箇所で描かれています。この1年、また今までの生涯において、悲しみ、叫び、苦しみがあったかと思います。消化しきれていないものも、いまだに苦々しく、傷となっているものもあるでしょう。

けれどやがての日、神と完全に出会うときに、私達はそれらを乗り越えてあまりある慰めを受け、喜びに踊るのです。

そして、今日もその慰めと喜びを私達は体験できるのです。神が今日も私達と共にいてくださるのですから。

 

Top