毎日の聖書10月4日~10日
おざく台教会毎日の聖書 10月4日~
1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
10月4日(月)民数記32章
6節『あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。』
モーセのルベン族とガド族に対する批判は正当かもしれませんが、彼らの心を見誤っていました。何か問題に対処するとき、どうか決めつけに注意してください。私達人間の視野は狭く、限られているからです。相手の人はなぜそのような言動をしたのでしょうか?キリストは罪人を切り捨てず、心の奥を見つめ、弱さも痛みも知り、そのうえで憐れんでくださいました。
「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。『あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』」マルコ10章21節
10月5日(火)民数記33章
55節「もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。」
私たち誰もが「偶像」を持っています。それは私達が神以上に求め、手放せず、それによって幸福を感じるもの(富、評判、人間、物、思想)などです。神以外の何かを神のように拝み、従うなら、自分に、周囲に、深刻な影響をもたらします。自分にとっての「偶像」は?ゆっくり考えてみてください。まことの神様を神様とすることが本当の幸いにつながるのですから。
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」マタイ6章24節
10月6日(水)民数記34章
2節「あなたがたの相続地となる国、カナンの地の境界は次のとおりである。」
神の示された境界線は、イスラエルが実際に占領した領土より大きなものでした。神の与えようとしているものは、私達が考え、求めるよりも、いつも広く大きいのです。神の与えようとしている祝福を、自分で制限しでいませんか?かつて有名になったヤベツの祈り、あなたも祈ってみてください。
「ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』そこで神は彼の願ったことをかなえられた。」第一歴代誌4章10節
10月7日(木)民数記35章
11節「あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。」
のがれの町は、人が陰謀や過度の復讐から守られ、正しい裁きを受けるための町でした。逆に言えば、人の裁きは当てにならず、神の裁きとはしばしばズレがあるのです。そして、究極的なのがれの町こそが、キリストです。どうか私達が物事を神様の視点で思慮深くとらえることが出来ますように。私達が、教会が、誰かに対してののがれの町であれますように。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11章28節
10月8日(金)民数記36章
13節「これらは、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、主がモーセを通してイスラエル人に命じた命令と定めである。」
荒野の40年が終わろうとしています。過去の失敗への後悔、新しい挑戦への不安、様々な思いがあったでしょう。しかし、するべきことは決まっています。神の言葉を今度こそ守り抜くのです。今日、一つの聖書の言葉を選び、それをいつも心の中で唱え、実践して過ごしてみてください。
「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」申命記6章6~8節
10月9(土)申命記1章
42節『上ってはならない。戦ってはならない。わたしがあなたがたのうちにはいないからだ。あなたがたは敵に打ち負かされてはならない。』
神が戦いを止められたのは、その決断が神のタイミングに反していたからです。人々が十分に整えられていなかったのです。ある時は正しいことでも、別の状況では御心でない場合があります。だから、神様に聞き続け、神様に注目し続けるのです。今日一日、絶えず目を、耳を、心を、神に向け過ごしてみてください。
「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。」出エジプト記40章36~38節
10月10日(日)申命記2章
14節「カデシュ・バルネアを出てからゼレデ川を渡るまでの期間は三十八年であった。それまでに、その世代の戦士たちはみな、宿営のうちから絶えてしまった。主が彼らについて誓われたとおりであった。」
荒野の40年は、金が炎で精錬されるような試練の期間でした。私達は苦しみをも信仰者の使命として受け入れねばなりません。しかし、試練はすべて意味を持ち、尊い金以上の価値をもつ人生となるのです。困難の中でも、決してあきらめないでください。(第一ペテロ1:6~7)
「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」第一ペテロ6章7節