4月5日のメッセージ
感染症拡大防止の観点から、5日と12日の礼拝はお休みといたします。大変申し訳ありません。
せめてもということで、5日(日)家庭での礼拝の参考になればと、聖書のメッセージをアップします。
事態の収束とみなさまの守りを祈りつつ
2020年4月5日 『 隣にはイエス様がいっしょに 』
<聖書>
そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。(マタイ27:38)
<私達の心は>
現在私たちはコロナウイルスの危機の中にあります。赤十字社によるとコロナには3つの顔があり、1.健康を脅かす、感染や経済への不安や恐れで私たち心を損なう、批判や差別で人間関係を損なわせる、そうです。だからこそ、一息ついて自分自身の心や生活を見つめなおし、自分を支えるものを持ちましょう、とありました。(http://www.jrc.or.jp/activity/saigai/news/200326_006124.html)
毎日の暗いニュースに目と耳と心を奪われ、不安や恐れ、失意や断絶を感じている私達は、この十字架の上の強盗と似ているかもしれません。彼は十字架の上で、何を見て、何を聞き、何を思っていたのでしょう?きっと彼の目と耳から入るものは彼をいよいよ絶望させ、心は死への恐れで満たされていたでしょう。しかし、ふと横を見た時、そこにはキリストが彼の隣で一緒に十字架にかけられていました。
<ふと横を見ると・・>
強盗がかけられた十字架刑は、数ある死刑法の中でも、最も苦痛と恥辱を与える死刑法であり、末代までの恥とされた見せしめ刑でした。加えて、ユダヤ人にとって木にかけられたものは呪われるとされ、神の国に入れないと考えられていました。この強盗は人生の失敗者。人から指さされ、笑われ、神に見捨てられた存在。当時考えられた最悪の結末でした・・・
しかし、強盗がふと横を見ると、そこにはイエス・キリストがおられたのです。神が人となって、隣の十字架の上にかけられておられました。この世界の創造者が、罪ない聖なる方が・・・汚れた、忌み嫌われた十字架にかけられてまでこの強盗と「いっしょに」におられたのです。
<共にいる神>
キリストは生まれた時2つの名で呼ばれました。1つ目はイエス(神は救う:マタイ1:21)、2つ目はインマニュエル(神は共にいる:マタイ1:23)。救い主キリストが2つの名で呼ばれたことには意味があります。
私達の神は、共におられる神なのです。「あなたはどこにいるのか?」(創世記3:9)と人を探された神は、たとえ罪人の私たちがどこにいても、隣へと来られます。およそ考えられる最悪の状況である十字架にさえも来られました。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」 ピリピ2章6~8節
いえむしろ、神が隣にいること自体が、何よりの「救い」なのかもしれません。かつてある信仰者は断言しました。「天に神がおられるのではなく、神がおられるところが天である。」
<どんな場所でも響き渡る福音>
そして、塵の中から、罪の中から、失望や恐れ、死の中から、私達を救い上げてくださいます。この後、キリストはこの強盗に誓うのです。
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23章43節
私達は、どんな状況でも、どんな場所でも、このキリストの約束を聞けるのです。たとえあなたがどこにいても、キリストが隣にいてくださるからです。
<たとえあなたが気付かなくても>
困った時の神頼みと言いますが、私達は困難の時ほど、神に向くどころか、不安や恐れ、否定的な考えで頭も心も満たされてしまうようです。そんな時、「砂の上の足跡」という一つの詩を思い出します。
ある夜、わたしは夢を見た。 わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。 どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。 lつはわたしのあしあと、もうlつは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、 わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこにはlつのあしあとしかなかった。 わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、 わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。 いちばんあなたを必要としたときに、 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、 わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。 「わたしの大切な子よ。 わたしは、あなたを愛している。 あなたを決して捨てたりはしない。 ましてや、苦しみや試みの時に。 あしあとがひとつだったとき、 わたしはあなたを背負って歩いていた。」
私達が気付いても、気付かなくても、神はちゃんと共にいてくださるのです。
<だからあなたも横を見て>
この世界のどこにも、救い主が来られない場所はありません。どのような最悪な場所や状況にも、主は隣に来てくださる。その場を、その状況を、天のようにしてくださる。そして、いっしょにいて、救い上げてくださる。難しい状況の時、諦めたり、感情に流される前に、祈りの中で隣を見てみてください。そして、気付くのです。主は共におられると。それが私たちを支える力です。
<祈り>
十字架の上の強盗のところへ来られ、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:34)と福音を告げられた主よ。私が今日一日、この罪人の私といっしょにいてくださるあなたから目を離すことがないように、助けてください。アーメン
