毎日の聖書4月15日〜

おざく台教会毎日の聖書 月15日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

 

15(月)ヨハネの福音章  
12節「そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。『余ったパン切れを、一つもむだ捨てないように集めなさい。」

 五千人の給食の奇跡により人々は食べて満足しました。しかし、満足して終わりではなく、最後まで神の奇蹟を見つめるように主イエスは言われました。

 私たちの生活には、もちろん苦労も多くあるでしょうが、同時に神の恵みもまたあるかと思います。日々の恵みを一つ一つ丁寧に数え、感謝する時をもってみてください。

 

16日(火)ヨハネの福音
38節「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
 人は外側から取り入れたもので、満足や安心を得て心を満たそうとします。(趣味、買い物、レジャー、それらは決して悪いものではありません。)けれど、それでしか心が満たすことができないとしたら、状況が悪くなってしまうと、私達の心は簡単に渇き、涸れてしまいます。

 しかし、主イエスは内側から湧き出るいのちの泉を与えてくださいました。私たちはその泉をすでに内側に持っているのです。心が渇く時こそ、神からの満たしを求めてみてください。

 

日(水)ヨハネの福音

58節「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。』

 疫病、戦争、災害など、近年は、わたし達の日常にも世界中にも、多くの混乱が見られましたけれども、忘れないでください。そのような嵐の中でも確かに主は生きておられたのです。私達と、恐れると人と、悲しむ人と、共にあり、見えない手で守り支えてくださいたのです

 同じ方が今日も、明日も、私たちと、共にいてくださるのです。この主イエスの宣言を心に響かせ、新しい一日を信仰をって歩み出してください。

 

日(木)ヨハネの福音
2節「弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。『先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。
 私達人間は、理由探し、原因探し、犯人探しが大好きです。しかし、この盲人の病や苦しみは、罪の結果ではなく、「神のわざが現れるため」(3節)でした。困難や問題に直面した時、誰かのせいにするのでなく(もちろん適切な対処は必要でしょうが)それ以上に、神の業に期待して祈ってみませんか?

 

 

日(金)ヨハネの福音10
27節「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
 人は4つの声を聞くと言われます。1.自分の声、2.の声、3.悪魔の声、そして4.キリストの声。最初のつは、時に有益ですが、時に私たちを惑わせたりもします。神が自分や人の声を通して語りかけてくださることも、悪魔が自分や人の声を通してささやくこともあります。今日私たちが聞く一つ一つの声を吟味し、キリストの声にこそ従ってみてください。

 

20日(土)ヨハネの福音11

25節「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」
 私たちには死では終わらない、永遠のいのちが約束されています。私達には希望があります。ですから究極的には死をも恐れません。また、肉体の死だけでなく、自分に死に、人に仕え、損をする生き方をも、選ぶことが出来るのです。キリストを信じる者は、キリストに似た歩みへと導かれるのです。

 

21日(日)ヨハネの福音12
24節「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

 キリストは、安全で清らかな天にとどまることもできたのに、や汚れのあるこの世界という地に蒔かれ、十字架で死になれました。そして、十字架により、私たちに命を与えてくださいました。

 私たちも、それぞれの地に蒔かれています。神が一粒の麦としてあなたを蒔かれた地に、いのちの実が結ばれますように。

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