毎日の聖書4月8日〜

おざく台教会毎日の聖書 日~

 

1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

 

(月)ルカの福音23章  
26節彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。
 クレネ人シモンは、偶然その場に居合わせたのに、運悪く無理矢理十字架を負わされます。辛さと恥ずかしさから、なんで自分がこんな目に、そう思ったでしょう。けれど、そのような災難も、キリストの後ろを歩き、キリストを近くで見て、主の苦しみの一部を味わい、やがて信仰へと導かれました(ここに名前が記され、息子たちの名前の聖書に記されていることから、初代教会にとって馴染みのある人物だったと理解されています)私たちは、不条理な苦しみを体験することがありますが、それさえもキリストをより深く知ることにもつながりうることもあるのです

 

日(火)ルカの福音24

49  「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。 

 ルカの福音書使徒の働き、同じルカが記した、前編と後編です。ルカは小さく弱い者達へのあたたかな眼差しで溢れています。使徒ではその小さく弱い者達が聖霊なる神様の力を受けて、大活躍します。
 日々私たちが、天よりの力を着せられて歩めますように。

 

10日(水)ヨハネの福音

14 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 “住まわれた“は、“幕屋を張られた”、神と出会う会見の天幕となられた、という意味です。私たちが神に会いに行くのではないのです。神が私たちに出会いに来てくださったのです。

 このキリストを信じ、聖書を読むなら、私たちは今、神様と出会っているのです。

 

11日(木)ヨハネの福音
宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、―しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた 
 奉仕する時、神と人に仕える時、苦労が多く、心と力をすり減らし、感謝されることは少ないかも知れません。

 しかし、水がぶどう酒に変わるという奇跡を見た手伝いの者たちのように、の御業を見る、という素晴らしい祝福もまたあるのです

 

 

12日(金)ヨハネの福音

15〜16 「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
 ヨハネ3章のイエスとユダヤの優れた宗教学者ニコデモとの会話の場面です。真理を求めたニコデモは、議会でイエスをかばい、イエスの埋葬を手伝ったと聖書に記録されています。そしてユダヤの文献に、ニコデモの後日談があります。「彼の家族優れた学者であったのに、愚か者を信じ、地位を失い、人に食物を恵んでもらっている。」

 しかし、彼は永遠のいのちを手にしたのです。

 

 

13日(土)ヨハネの福音

28〜29節「女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。

その水がめから飲んでも、また渇きます(13節)。しかし、キリストと出会い、生ける水(聖霊)を手にした彼女は(14節)、自分の水がめを置きました。あなたにとって置くべき水がめとは何でしょうか?祈りの中で聞いてみてください。

 

 

14日(日)ヨハネの福音

6節 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。『よくなりたいか。』

ほとんど諦めかけていたこの人に、主イエスは近づき訊ねます。私達も大切なことを諦めかけてはいないでしょうか?主イエスならあなたになんと訊ねるでしょう?あなたはなんと応えましょうか?祈りの中で応えてみてください。

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