毎日の聖書4月10日〜16日

おざく台教会毎日の聖書 4月10日~
1日1章の聖書通読を用意しました。短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。
4月10日(月)ヨハネの福音書1章
14節「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」
 “住まわれた“は、“幕屋を張られた”、神と出会う会見の天幕となられた、という意味です。私達が立派になって、高みへと登り、神に会いにいくのではないのです。聖なる神が、罪深い世界へ、汚れた私達へ、会いに来てくださったのです。キリストを信じるなら、あなたは神様と出会っているのです。
4月11日(火)ヨハネの福音書2章
9節 「宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、―しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた」
家庭で、職場で、学校で、教会で、神と人に仕える時、光が当たらず、苦労が多く、感謝されることは少ないかも知れません。しかし、汗を流して水をくんだ手伝いた者たちのように、誰も知らない素晴らしい神の御業を見る、という祝福もまたあるのです。
4月12日(水)ヨハネの福音書3章
15〜16節「 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
この後、イエスに会いに来たニコデモの応答は記されていません。しかし、ユダヤの文献に、ニコデモの娘たちの後日談が記されているそうです。「彼の娘たちは愚か者を信じ、地位を失い、人に食物を恵んでもらっている。」しかし、ニコデモの家族は永遠のいのちを手にしたのです。
4月13日(木)ヨハネの福音書4章
28〜29節「 女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。 「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」
水がめから飲んでも、また渇きます。主と出会い、生ける水(聖霊)を手にした女は、自分の水がめを置きました。私達にとっての水がめは何でしょうか?せっかく手にした、生ける水から飲んでいるでしょうか?「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」14節
4月14日(金)ヨハネの福音書5章
39節 「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」
聖書は、知識や教養の書でしょうか?いえ、キリストを私たちに示す、キリスト証言の書です。励まし、知恵、導きなどを求めて読むことももちろん出来ます。けれど、まずキリストを求めて開てみてください。神の語りかけに、耳と心を傾けてください。
4月15日(土)ヨハネの福音書6章
11〜12節「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」」
 五千人の給食という素晴らしい奇跡の後、食べて満足するのではなく、一つも無駄に捨てないように集めるように、最後まで神の奇蹟を見つめるように言われました。神からの日々の恵みを一つ一つ丁寧に数え、感謝してみてください。
4月16日(日)ヨハネの福音書7章
37〜38 節「「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
 人は外側から取り入れたもので、満足や安心を得ようとします。必死に探し、求め、時に奪いさえもします。しかし、内側からそれらが湧き出る方法があるのです。神を信じること、心を打ち明け祈ること、聖書を開き恵みの言葉に耳を澄ますこと、決して難しいことではないのです。
「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」(詩篇34:8)
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