毎日の聖書11月7日〜13日

おざく台教会毎日の聖書 11月7日~13日

1日1章聖書を読んでみてください。お手元に旧約聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。

11月7日(月)詩篇29篇

1節「力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力を主に帰せよ。」

 私達は自らの弱さのゆえに、立場や権威や力や物に固執します。それらを自分の心の支えとしているため、それらが自分の手を離れるのが不安で仕方ないのです。しかし本来は神から預けられただけのものを人間が力いっぱい握りしめても、正しく扱うことはできません。それらは、手の上にそっと乗せるべきもの、いつでも神へ、人へ、差し出すべきものです。私達が握りしめる手の力を緩める時、私達は神に預けられたものを正しく保ち、用いることが出来るのです。

「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(ルカ20:25)

11月8日(火)詩篇30篇

5節「まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」

 私達の日々様々な失望を経験します。そんな時私達は、この状況が永遠に続くのだ、私はもうダメだとすぐに考えてしまいます。しかし、その一時が、その出来事が、全てだとは思わないでください。小さな十円玉でも、太陽の光を隠すことも出来ます。しかし、十円玉は太陽よりはるかに小さいのです。神様はあなたを失意の中に放っておきません。あなたを決して見捨てません。神の助けと救いは、すぐにでもあなたにやってきます。

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:3~5)

 

11月9日(水)詩篇31篇

24節「雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。」

 かつてこんな歌詞の曲が流行りました。「夜が来て、暗闇の中を歩いている。けれど私は恐れない。あなたが隣にいてくれるから。」私達も、状況は逆風、手には力がなく、人からの助けも期待できず、先にも光が見えない時があります。それでも私達の歩みは止まりません。心は決してしおれません。私たちは希望を失いません。いつでも、どこでも、力強い神が共にいてくださるからです。

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1:9)

 

11月10日(木)詩篇32篇

1節「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。」

 宗教改革者マルチン・ルターは信仰者を「赦された罪人」と表現しました。たとえ罪深くても、何の功績がなくても、ただ神から一方的に赦された。その感動に打ち震え、謙遜に、神と人を愛して歩むのだ、という意味が込められています。十字架のキリストを見上げるなら、私達は決して高慢になれません。感謝を歌い、喜び踊りな がら毎日を生きるのです。

「いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたから

です。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」(コロサイ2:14)

 

 

11月11日(金)詩篇33篇

13節「主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。」

 誰からも理解されていないと、誰も自分を思いやってくれない、そのように孤独を感じる時はありませんか?そんな時も神様のまなざしはあなたに注がれているのです。地面ではなく、天を見上げてみてください。

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(マタイ6:26)

 

 

11月12日(土)詩篇34篇

8節「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」

 宗教改革者カルバンによるジュネーブ信仰問答集問1:「人生の主な目的は何ですか。」答:神を知ることであります。」

「神を知っている」、と、「神について知っている」、とは違います。「知る」とは夫婦の結びつきにも例えられる深い親密な関係があることです。神に関する知識や情報も大切ですが、神はご自身を味わい、見つめるように私たちを招いています。あなたはどう応えますか?

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28~30)

 


11月13日(日)詩篇35篇

3節「槍を抜き、私に追い迫る者を封じてください。私のたましいに言ってください。『わたしがあなたの救いだ。』と。」

 逆風の激しい音は、迫りくる困難の足音は、私達の耳と心と頭をいっぱいにし、神の声を聞こえにくくさせてしまいます。今日、まとまった時間と、静かな場所とを用意してみてください。聖書を開き、集中してあなたへの神の語りかけを聞いてみてください。その声こそが私達を生かすのです。

「地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。『エリヤよ。ここで何をしているのか。』」(第一列王記19:12~13)

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