毎日の聖書5月2日~8日

おざく台教会毎日の聖書 5月2日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

5月2日(月)第2列王記11章

8節「一般の人々はみなバアルの宮に行って、それを取りこわし、その祭壇とその像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司エホヤダは、主の宮の管理を定めた。」

聖書では、偶像とは、他宗教の神々としてだけでなく、私達の心を神からそらし、神に背かせるあらゆるものを指しています。人物、所有物、評判、地位、財産、そういった本来良いものさえも、偶像になりうるのです。あらゆるものを偶像にしてしまう罪の性質は、欲望は、私達の内側に潜んでいます。

私達はそれらに支配されるのではなく、私達がそれらを支配(正しく管理)するのです。信仰者と神との関係は、婚姻関係に例えられますが、神が私達に誠実なように、私達も神に誠実でいましょう。

 

「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」コロサイ人への手紙3章5節

 

5月3日(火)第2列王記12章

4節「ヨアシュは祭司たちに言った。『主の宮にささげられる聖別されたすべての金、すなわち、各人に割り当てを課せられた金や、自発的に主の宮にささげられるすべての金は、」

お金との関わり方は、その人物の信仰を表現することがあります。お金を支えとし平安を得ようとした金持ち、お金を力と考え富で人を動かそうとした王様、お金が神であるかのように心奪われ身を滅ぼした人々、そしてお金を神からのもの考えと、神と人のために喜んで用いた信仰者。私達は誰に似ているでしょうか?

 

「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」ルカの福音書16章13節

 

5月4日(水):第2列王記13章

19節「神の人は彼に向かい怒って言った。『あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。』」

この矢は、祈りであり、信仰の行動です。大切なのは、それが自分勝手な矢ではなく、主の約束が伴った矢であるということです。あなたのしようとすることに主の約束が伴っているなら、どうか大胆に祈り、大胆に行ってください。

 

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」マタイの福音書7章7節

 

5月5日(木)第2列王記14章

6節「しかし、その殺害者の子どもたちは殺さなかった。モーセの律法の書にしるされているところによったのである。主はこう命じておられた。『父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、ただ、自分の罪のためにでなければならない。』」

復讐や戦略的殺害が一般的な時代にあって、マツヤは恨みではなく、律法に従いました。私達の行動の基準は、世間の常識でなく、自分の都合や、一時の感情でもなく、神の言葉です。キリストの歩みです。今日一日、神の言葉に、キリストの足跡に従って歩めますように。

 

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」詩篇119篇105節

 

5月6日(金)第2列王記15章

34節「彼は、すべて父ウジヤが行ったとおり、主の目にかなうことを行った。」

聖書の中には、罪という悪い遺産を受け継ぐ家系もあれば、愛、信仰、誠実という良い遺産を受け継ぐ家系も出てきます。霊的な家系ととらえれば、私達の日々の言動は、若い信仰者や子ども達に良くも悪くも霊的な影響を与えるのです。「主の目にかなう事」を私達が日々行い、私達の一挙手一投足が、神の栄光(愛と恵み)を表すものとなりますように。

 

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」コリント人への手紙第一10章31節

 

5月7日(土)第2列王記16章

18節「彼は宮の中に造られていた安息日用のおおいのある道も、外側の王の出入口も、アッシリヤの王のために主の宮から取り除いた。」

アハズは、神よりも、自分に都合のよい人物に仕え、神様のことをないがしろにしてしまいました。私達にとって、人間関係は大切です。しかし、人物もまた偶像(偽りの神)になりえるのです。あなたに大きな影響を与え、時に本当の神様にさえ背かせる、あなたにとってのアッシリヤ王は誰でしょうか?

 

「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」マタイの福音書4章13節

 

5月8日(日)第2列王記17章

7節「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、」

「こうなったのは」アッシリヤの王に反逆したからと人々は考えました。しかし神は、「こうなったのは」あなた方が神に反逆してきたからだ、と言うのです。あなたが「こうなったのは」と考えていることはありますか?神の視点でもう一度問い直してみてください。

 

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」エレミヤ書33章3節

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