3月8日~の毎日の聖書

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おざく台教会毎日の聖書 3月8日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。無料スマホアプリ「聴くドラマ聖書」には全文載っています。

短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

3月8日(月)第二テモテ3章

14~15節「 けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」

2~7節を読み、何個が当てはまりますか?「私は信仰の失格者では?」と動揺しますか?しかし、本当の失格とは、自分こそは合格だ!と高ぶり、キリストを拒むことです。以前「自分の救いに不安があることこそ、すでに救われている証だ。自分を疑えるからこそ、キリストに頼れるのだ。」というメッセージを聞いたことがあります。そして、自分に不安を感じるあなたを神は、「すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者」(17節)として下さるのです。

 

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」Ⅱコリント3章18節

 

3月9日(火)第二テモテ4章

7節「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」

パウロにはパウロの「走るべき道のり」がありました。そして私たち一人一人にはそれぞれの「走るべき道のり」があるのです。その道のりは、人と比べれば、目立たず、地道なものかもしれませんが、パウロと同じように神が与えてくださった「走るべき道のり」です。今日もそれぞれの場で、神と人とに仕えて歩め(走れ)ますように。

 

「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。」Ⅰコリント9章24節

 

3月10日(水)テトス1章

2節「それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。」

ニュースを見れば、人間がいかに偽り、ごまかし、裏切る存在であるかが連日のように流れています。しかし、神は偽りません。約束を破りません。決して裏切ることはありません。いつも真実であり、どれだけ私達が背いても決してあきらめず、見放しません。あなたはそのような愛の対象なのです。

 

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」ヘブル13章5節

 

3月11日(木)テトス2章

14節「キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。」

信仰と生活とは切り離されていません。天国があるから、日常の歩みはおまけ・・・ではないのです。信仰とは日々の仕事や務めに、夫婦や親子の関わりに、他の人への言葉かけに、具体的な形として現されます。「What Would Jesus Do?」(イエス様ならどうする?)今日一日問い続けてみてください。

 

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ローマ12章1節

 

3月12日(金)テトス3章

5節「神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」

私たちは神の愛を自分の行為を差し出すことにより勝ち取ろうとしがちです。しかし、「神の恵みの中にいるために、始めにも終わりにも、あなたがしなければならないことは何もない。」(フレデリック・ビュークナー)神の愛はもうあなたに注がれています。

 

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」エペソ2章8~9節

 

3月13日(土)ピレモン

17節「ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。」

主人ピレモンに損害を与えた奴隷オネシモを赦すようにと、パウロはあの手この手で願います。あなたには赦せない人がいますか?あなたへのパウロからの、いやキリストからの手紙として、もう一度読んでみてください。キリストは言うのです。「私を迎えるように彼を迎えてやってください。」

 

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハネ13章34節

 

3月14日(日)ヘブル1章

3節「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」

 

キリストは神の最終啓示とも言われ、神の御心の完全な現れです。キリストはその生涯を通して、神の愛と憐みを私達に豊かに表してくださいました。では、私達は神の性質を表しているでしょうか?あなたはキリストに似ていますか?人はあなたの内にキリストを見ますか?今日一日、キリストの歩みを追い求めてください。

 

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」Ⅱコリント2章15節

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