毎日の聖書

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礼拝は、会堂とオンラインで行っています。

1年ぶりに聖餐式を行うことが出来ました。

 

おざく台教会毎日の聖書 2月1日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。無料スマホアプリ「聴くドラマ聖書」には全文載っています。

短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

2月1日(月)ガラテヤ2章

16節「人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」

義とは、天の父との関係、神の前に立つ資格、などを意味します。ルカ15章の放蕩息子の話を読んでみてください。息子(私達人間)は、努力・功績・悟り・宗教行為・厳格な生活はなく、むしろボロボロのままであっても、父が変わらずに「息子」と見てくださったことにより、受け入れられ、救われました。かつて聞いたことがあります。この例話のふさわしい題は「放蕩息子」ではなく「父の愛」だと。私達はその愛に信頼し、受け止めるだけです。

もう一点、そのように愛されたあなたは、そのような愛で人を愛していますか?

 

「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」ローマ5章1節

 

2月2日(火)ガラテヤ3章

26節「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」

先日も触れたルカ15章の放蕩息子の話。ここでは父の愛意と憐みに焦点が当てられていますが、父の犠牲には詳しく触れられていません。放蕩息子である私達を取り戻すために父なる神が払った犠牲、それがイエスキリストです。神の愛を受け入れることは、キリストの十字架を受け入れることです。

 

「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」1ペテロ2章24節

 

2月3日(水)ガラテヤ4章

9節「神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに」

ある教会の献金と応答の祈りで、高齢のご婦人がこう祈ったそうです。「神様、最近私は物忘れがひどくなりました。いつかあなたのことを忘れてしまうのではと心配でしかたありません。しかし、あなたが私を忘れないでくださることを感謝します。」

私たちの神への思いや感情は日々揺らぎます。しかし、神の私たちへの思いや感情は変わりません!あなたが神に知っている何万倍も神に知られ、あなたが神を愛している何億倍も愛されています。あなたはもうすでに神の子、神の宝です。安心して前進してください。

 

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」Ⅱテモテ2章13節

 

2月4日(木)ガラテヤ5章

4節「律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。」

罪や失敗によってキリストから離れるのではありません。宗教が、形式が、努力が、人間的正しさが、十字架の恵みを軽んじさせ、ガラテヤ教会をキリストから離してしまいました。清さや正しさは良いものですが、救いの条件でなく、救いへの応答です。順序を間違えてはなりません。恵みこそがいつも先立つのです。

 

「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3章24節

 

2月5日(金)ガラテヤ6章

9節「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」

この一年、あなたの努力や誠実の中には、報われなかったものもあるかもしれません。それでも、キリストに従うことを、善を行うことを、けっして諦めないでください。刈り取りの時は、喜びの日は必ず来ます。私たちの神は、「収穫の主」(マタイ9:37)です。

 

「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」詩篇126篇5節

 

2月6日(土)エペソ1章

4~5節「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」

将来が不安な人は、心に寂しさを感じる人は、どうかこの箇所に耳を傾けてください。これは「選び」や「予定」とも言われる大切な教理です。世界の始まる前から、神は私達に愛の計画を持っておられたのです。あなたはキリストを信じ、罪浄められ、神の子とされました。そして、名実共に神の子となるように、日々作り変えられている最中です。神のあなたへの愛の計画は、今日も、明日も、これからも続きます。

 

「しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。」Ⅱテサロニケ2章13節

 

2月7日(日)エペソ2章

10節「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。」

私達は悪い行いでなく良い行いのため、悪でなく善のため、奪うのでなく分かち合うため、キリスト・イエスによって創造されたのです。その善い行いは、キリスト・イエスがすでに示し、備えてくださいました。今日もキリストの足跡をたどる一日となりますように。神はあなたに期待しておられるのです。

今日も一日、問いながら歩んでください「What Would Jesus Do?(主イエスならどうするだろうか?)」と。

 

「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」Ⅰペテロ2章21節

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