1月25日~の毎日の聖書

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牧師は幼稚園の先生をしているので、光るドロダンゴが得意です。

 

おざく台教会毎日の聖書 1月25日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。無料スマホアプリ「聴くドラマ聖書」には全文載っています。

短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

1月25日(月)第2コリント8章

9節「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

私達は乏しさを嫌いますが、愛する者のためなら乏しさも犠牲もいといません。キリストはあなたのためなら、「神のあり方を捨て」、誰よりも乏しくなりました。神の目にあなたは「高価で尊い」のです。

 

「よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。」ヤコブ2章5節

 

1月26日(火)第2コリント9章

7節「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」

キリストは心で決めて、私達のために「神のあり方を捨て」、「人間と同じように」なり、「十字架の死」を引き受けました(ピリピ2章)。さあ、あなたは神と人とのために何を心に決めますか?

 

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」ピリピ2章6~8節

 

1月27日(水)第2コリント10章

17節「誇る者は、主にあって誇りなさい。」

私達が誇るのは、学歴や収入や功績でもありません。自分の信仰歴や奉仕量や献金額でもありません。私達は罪人を救い、愚か者を見放さない神様の慈しみと憐みを誇るのです。そして主キリストを誇る者は、他の誰にもまさって謙遜で柔和です。

 

「いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」ピリピ2章16節

 

1月28日(木)第2コリント11章

2節「というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。」

聖書で神は夫に、信仰者は妻に例えられます。しかし妻(人間)は別の男(偶像の神々)と姦淫・不倫を繰り返します。それでも夫である神は、誓った愛を貫き、妻との関係を決して諦めませんでした。あなたがどれだけ神に背を向けても、神はあなたを追い続けます。

 

「は遠くから、私に現れた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。』」エレミヤ31章3節

 

1月29日(金)第2コリント12章

9~10節「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

人が自分の力を誇れば、自分の力が発揮されます。自分の弱さを誇れば、キリストの力が発揮されます。傷や問題や罪があってもいいのです。キリストは、そのような人を愛し、共に歩み、造り変え、力を現してくださいます。

 

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」。」ヨシュア1章9節

 

1月30日(土)第2コリント13章

5節「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。」

私達はコリント教会と同じく高慢で、罪深い存在です。けれど、コリント教会の人々と同じく、私たちのうちにもキリストが住んでくださっています。どれだけ罪深くとも、私たちのうちに住んでくださるほどのキリストの一方的な愛に信頼すること、それこそが信仰です。

 

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3章23~24節

 

1月31日(日)ガラテヤ1章

4節「キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」

私達は罪や問題、過去の傷から解放を願い、努力し、宗教や団体に頼ります。しかし、キリストの誕生・生涯・十字架・復活こそが神が私たちに与えた救い、解決、希望です。まずこの方にこそより頼み、祈ってみてください。

 

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」ヘブル12章2節

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