毎日の聖書と、先日の聖書メッセージの音源

1月3日の礼拝メッセージ音声
出エジプト記13章(メッセージ全文は前回の投稿に載っています)

 

おざく台教会毎日の聖書 1月11日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。無料スマホアプリ「聴くドラマ聖書」には全文載っています。

短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

1月11日(月)第一コリント10章

31節「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

前後の文脈を読めば「神の栄光」とは宗教的な戒律を守る生き方や、華々しい成果を上げる生き方というよりは、思いやりと謙遜をもって生活することにより表されると分かります。あなたが今日、愛とへりくだりによって歩む時、あなたを通して神の栄光は現れるのです。

 

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」マタイ5章16節

 

1月12日(火)第一コリント11章

27~28節「したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。」

キリストは罪人と食卓を囲みました。聖餐は、神の愛と赦しは、罪人のためのものです。では、「ふさわしくないまま」とは何でしょう?それは高慢と自己義認です。私達が大丈夫でないから、自分で自分を救えないから、イエスは十字架で死んでくださったのです。自分はダメだと思う方。安心して神の胸に飛び込んでください!自分は大丈夫と思う方。今すぐにでも悔い改めてください。

 

「あなたがたは、苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」ヤコブ4章9~10節

 

1月13日(水)第一コリント12章

26~27節「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」

あなたはペテロやヨハネとともにキリストのからだを形成しています。そこには、宗教改革者ルターも、聖フランシスコも、マザーテレサも、キング牧師もいます。そしてあなたが見下したリ、裁いたり、嫌ったりしている人も・・・「あなたがたはキリストのからだ」なのです。

 

「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」レビ記19章18節

 

1月14日(木)第一コリント13章

4~7節「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」

神の無限の愛の様々な側面が、身近な表現で語られます。あなたはこれらの愛のどの面を今自分に必要と感じていますか?今日一日その「愛を追い求め」てみてください。同時に思い出してください。あなたはそのような愛をもって神に愛されていることを。

 

「いっさいのことを愛をもって行ないなさい。」 Ⅰコリント16章14節

 

1月15日(金)第一コリント14章

33節「神が混乱の神ではなく、平和の神だからです」

コリント教会は神から与えられたよいもの(賜物・聖書・時間・力・教会)を、自己実現や他者攻撃のため用いてしました。あなたが何かをするとき、何かを言う時、少しだけ立ち止まって考えてみてください。それは愛を動機としているでしょうか?平和をもたらすものでしょうか?平和の神に聞きつつ、今日一日を歩んでみてください。

 

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」マタイ5章9節

 

1月16日(土)Ⅰコリント15章

20節「しかし、今やキリストは眠った者の初穂としては死者の中からよみがえられました。」

キリストの復活は、あなたの復活です。あなたは罪の生活から、悪への傾向から、過去の傷から、死への恐れから、よみがえったのです。それなのに再び墓へ戻ろうとしていませんか?もう一度言います、あなたはすでによみがえったのです。

 

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」Ⅱコリント5章17節

 

1月17日(日)Ⅰコリント16章

22節「主よ、来てください。」

キリストは2000年前に一度来られ、やがて再び来られます。宗教改革者ルターは言いました。「キリストが昨日十字架にかかり、今日復活し、明日再び来られるかのように生活しなさい。」私達の言葉だけでなく、私達の生活の在り様もこの言葉を告白しますように。「主よ、来てください。」

 

「目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」マタイ24章42節

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