毎日の聖書

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おざく台教会毎日の聖書 1月4日~

1日1章の聖書通読を用意しました。1日1章を読んでみてください。お手元に聖書がない方は、その日の冒頭に載せた一文だけで大丈夫です。無料スマホアプリ「聴くドラマ聖書」には全文載っています。

短い励ましの言葉と、それに沿った聖書から神様の言葉を添えました。みなさまの毎日の祝福を祈りつつ。

 

1月4日(月)第一コリント3章

16節「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」

どうして、自分を、人を尊ぶのか、その答えがここにあります。神があなたを、その人を選び、内に住み、共にあって善き業をなそうとしてくださっているからです。あなたの内には神がおられ、あなたは神の住まいだからです。ですから自分の歩みに気をくばってください。自分の身体と心を大切にし、良い状態に保っていてください。

 

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」Ⅰコリント6章19節

 

1月5日(火)第一コリント4章

3節「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。」

人からの評価は大切です。自分が自分自身をどう見るかも大切でしょう。しかし、あの大使徒パウロは、神が自分をどう見てくださるかをいつも大切に歩みました。(そうでなければ、分派主義で高慢なコリント教会を愛し抜くことは出来なかったでしょう。)神があなたをどう見ているか、聖書を開き神のまなざしを感じてみてください。

 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43章4節

「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」創世記1章31節

 

1月6日(水)第一コリント5章

9~10節「私は前にあなたがたに送った手紙で、不品行な者たちと交際しないようにと書きました。 それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。」

「世は・・」とか「ノンクリスチャンは・・」と言った言葉を用い、単純な霊肉二元論で世界を切り分けて見ていませんか?キリストはそのような見方をせず、罪にあふれた世界に飛び込み、「罪人」と呼ばれた私達を愛し、深く関わってくださいました。先に神と出会った者として、罪は罪として避けつつも、謙遜と敬意をもって、他の方々に関わってみてください。

 

「疑いを抱く人々をあわれみ、 火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。」ユダ1章22~23節

 

1月7日(木)第一コリント6章

12節「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。」

宗教改革者ルターは「キリスト者の自由」という本を書きました(岩波文庫にもあります)。その本で、本当の王であるキリストの者となった私達は、何にも支配されないが、自ら喜んで人々に仕えしもべとなる自由がある、といった内容がありました。私達は神に与えられた自由を駆使し、人を愛し、人に仕え、神の素晴らしさを表すのです。それは自由に私達を愛し、仕えてくださったキリストの姿でもあります。

 

「あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いなさい。」 Ⅰペテロ2章16節

 

1月8日(金)第一コリント7章

7節「私の願うところは、すべての人が私のようであることです。しかし、ひとりひとり神から与えられたそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに行き方があります。」

イエス様は、宗教家、女性、病の人、取税人、ひとりひとりに合わせてそれぞれに関わりました(もちろん愛をもって)。神はひとりひとりに計画があり、ひとりひとりに賜物を与え、ひとりひとりに語りかけてくださいます。そして、あなたにも。今日、あなただけに向けて語られる、あなたへの語りかけを、耳を、心を澄ませて、聞いてみてください。

 

「同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。」 Ⅰコリント12章11節

 

1月9日(土)Ⅰコリント8章

1節「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」

コリント教会以来、裁き合っていた教会は幾多の失敗を通して学び、一つの標語が生まれます。In essentials Unity, In non-essentials liberty and In everything Charity!「本質的なことに一致を、非本質的なことに自由を、全てのことに愛を!」私たちの行動基準は知識(自己義認)でなく愛です。

 

「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」ガラテヤ5章13節

 

1月10日(日)Ⅰコリント9章

24節「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。」

この言葉は、救いは人間の努力によって得られる、という意味ではありません。パウロは高慢と不品行に満ちた教会に軌道修正を求めているのです。神の子としてふさわしい歩みへと変えられるように、心と行動の変化を求めているのです。コリント教会のような私達も、キリストの恵みゆえに今からでも変われるのです。

 

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」ローマ12章2節

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