2021年1月3日メッセージ

IMG_20210102_171200

 

2021年1月3日「困難の時に知っておきたい聖書㉔」

 

<聖書 ヨシュア記>

1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

 

<ファミリータイム 出エジプト記>

13:20 こうして彼らはスコテから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。

13:21 主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

13:22 昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。

 

 

<求められる新しい状況への対応>

新年あけましておめでとうございます。昨年、コロナウイルスの影響を通して、私達の生活も大きく変わりました。そして今後、コロナがやがて収束したとしても、働き方、学び方、暮らし方は、以前とはまたちがった姿になっていくと指摘されています。これからもどんどん「新しい様式」が求められてきます。

(教会でも、「新しい礼拝形式」「新しい宣教様式」、「新しい信仰様式」などという言葉を聞きます。教会もこれからも様々な対応が求められるでしょう。)

そう聞くと、少し気がめいると言いますか、恐れを抱きます。私達は、慣れ親しんだ方法に愛着がありますし、肌に合います。今から大きな変化が必要と言われても、今までのやり方が通用しないと困ってしまいます。恐れで心が満たされ、歩みを止めたくなるか、手っ取り早い方法論に飛びつきたくなります。

 

 

<変わる状況でも変わらない「あり方」>

そんな時、神は私達に何と語りかけるでしょう?今日のファミリータイム、エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエル人は、暦が新しくなりました、生活の場所も方法も一変しました。そんな人々に神は何と語りかけるか?神は、聖書の中で、変化の節目節目に、新たな困難に遭う度に、語りかけるのです。「恐れるな」と。

 

ローマ教皇フランシスコは、カトリック教徒に向けた祈りの集いの中で、嵐を静めるイエス様の箇所を引用しながらイエスが船に共にいることを指摘し、「恐れるな」と何度も繰り返したそうです。

恐れは、私達の心と頭を満たし、視野を狭め、自分自身のことで精一杯にします。神でなく、安易な方法に私達を頼らせます。そして、大切な役目、他の人を愛することを忘れさせてしまいます。ですから、神は言うのです。嵐の中でも、恐れるな、愛せよと。

 

嵐のような状況や、変わりゆく状況の中でも恐れるなという神は、続けて約束します。

「あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1:9)

私が共にいて守ると約束してくれている。そして、「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。」(出エジプト13:21)歩みが止まらないように、しゃがみ込み諦めないように、先だって、道を切り開いてくださる。私達の心が恐れではなく、神と人への愛で満たされるように、助けてくださいます。

 

<変わらぬ「あり方」から生まれる新しい「やり方」>

聖書の歴史は、キリスト教の歴史は、まさに変化に溢れていました。状況も場所もコロコロ変わるので、みんな苦労している。けれど、変わらないのは、神は共にいて導いてくださったということです。

国が滅び、礼拝の場所である神殿が壊され、指導者である祭司が殺されて異国のバビロンで奴隷になれば、その地に会堂を建て自分達で聖書を読み今までとは違う方法で神と歩んだ。ローマ帝国に迫害されれば、カタコンベという地下の墓地で集まり神を礼拝し、他の人を愛し福音を告げた。それぞれの場所や状況で変わらない神様と歩み、自分の務めを果たしました。

 

あるユダヤ教のラビ(学者)はこう述べています「神学とは、朝起きたときに、神が今日なにを気にかけておられるかを考え、神とともにそれを気にかけることである。」

 

私達の信仰のあり方は変わりません。神はいつも共にいてくださるから、先だって導いてくださるから、新しい状況の中でも、新しい場所に置かれても、変わらない神とともに歩み続けるのです。

 

教会史の専門家ペリカンの有名な言葉があります。「伝統とは、死んだ人間の生きた信仰であり、伝統主義とは、生きた人間の死んだ信仰である。」

以前のものを継続するのが大切でもありません。新しいことをするのが大切なのでもありません。生きた信仰の中で生まれてくるものが大切なのです。私達は、ラビの言う「神学」を止めてはならないのです。

そして変わらないあり方の中から、新しいやり方が、「新しい礼拝様式」、「新しい信仰様式」「新しい宣教様式」が結果として生まれていくのです。

 

<私達の1年>

素晴らしいことに、この1年間、みなさんは神学をし続けてくれました。

今までのような方法は難しい。では、どうやって神を愛そうか?どうやって人を愛そうか?みなさんが祈りつつ考え、あゆみつづけてくださったことを嬉しく思います。

 

みなさんが、慣れないはずのウェブ礼拝に一生懸命対応してくださり感謝しています。分散礼拝も、新しい形式の聖餐式も受け止めようとしてくださっています。教会に行けないなら自分と、祈りや黙想で、神様との交わりを深めようと試みてくださった。そうやって一生懸命神を愛した。

また、互いに、手紙を書いたり、電話をしたり、クリスマスにはたくさんのカードを用意したり、人のために祈ったり(究極のリモートワークですね)、教会に招けないならと自分自身で語ったり、積極的に行動し、人を愛してくださった。

 

実は信仰者達ははるか昔から、教会は2000年前から、変わりゆく状況の中でも、恐れで足を止めずに、神学しつつ歩んできたのです。

そして、「昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。」(出エジプト13:22)とあるように、神は昼も夜も私たちから離れないのです。

 

どうか新しい状況を恐れすぎないでください。イエス様はコロナ以上に、私達の状況を新しくしてしまう方です。(誰かが(良い意味で)イエスさまのほうがずっと大変!と言っていました。)でもそれは良い新しさです。

 

私達の人生は、旅に、巡礼の旅に例えられます。エジプトを出たイスラエル人のように、罪の支配から出て、約束の血を目指す旅です。変化も、困難も待っていますが、同時に神が先立ってくださる旅です。昔の信仰者達が歌った巡礼の歌、詩篇121を覚えて、メッセージを終わりたいと思います。

 

121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。

121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。

121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。

121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。

121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。

121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

 

みなさんの新しい年が、神とともに、神に導かれ、他の人に愛と希望を届けるものでありますように、祈っています。

 

<今週の黙想>詩篇121篇を朝毎に読み、新しい年を、新しい日を始めてみてください。神はあなたともにいます。ですから、恐れず、神と人を愛する歩みを貫いてください。

Top