11月22日のメッセージ

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2020年11月22日「困難の時に知っておきたい聖書㉓」

 

 

<聖書 コロサイ教会への手紙>

1:13 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配(別訳:王国・権威)の中に移してくださいました。

1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦し(別訳:解放)を得ています。

 

<ファミリータイム 出エジプト記>

12:41 四百三十年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出た。

12:42 この夜、主は彼らをエジプトの国から連れ出すために、寝ずの番をされた。

 

 

<罪と罪の後遺症からの解放を>

「感染症だけでなく、その後遺症が怖くて・・・」という話をよく聞きます。感染症から回復し、陰性と判定されても、しばらくは症状や体調不良が続く場合が一定数ある・・確かに心配です。

その話を聞き、何かに似ているなぁと思いました。そして、自分自身の罪にもまた、後遺症があるのだと感じました。

 

ファミリータイムで見た映画「プリンス・オブ・エジプト」のエジプトからの脱出のシーン。マライア・キャリーさんが「あなたが信じる時、奇跡が起きる。」と歌っていました。この映画の中でハッとさせられたのは、人々がエジプトを出る時、戸惑った表情をし、恐る恐る歩いていた場面でした。数百年も奴隷だったのです。エジプトの抑圧は、彼らの心を、恐れ、諦め、不安、低い自己理解で一杯し、彼らを縛り続け、振り回し続け、苦しめ続けていたのです。エジプトの支配による、影響、傷、後遺症が、心に、魂に、深く残っていたのです。

そこで、神はただエジプトの支配から解放するだけでなく、彼らを助け、守り、導く体験を通して、彼らの恐れや不安や低い自己理解からも解放していった。ある意味で「小さな出エジプト」を日々繰り返していったのです。

 

このユダヤ人の解放の出来事は、私達に起こる解放の出来事を指し示しています。聖書はわたし達もまた、罪の奴隷となっていた、けれどもうキリストによって奴隷から解放されたのだ、と語ります。

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」ローマ6:6

 

クリスマスの讃美歌「もろびとこぞりて」(Joy to the world)の2番はこのような歌詞です。

「悪魔の人牢(ひとや)を打ち砕きて 虜(とりこ)を放つと 主は来ませり 主は来ませり。」

キリストが、罪や死、悪魔に捕らわれて奴隷とされていた私達を開放してくださるためにクリスマスに来た、その喜びを歌った歌詞です。古い歌詞では「鉄(くろがね)の扉 打ち砕きて」だったようです。

 

キリストを信じたものは、罪の奴隷ではなく、神のしもべとなり人に仕える、永遠の死に支配されるのでなく永遠の命が支配する、もうキリストのおかげで、罪とも死とも悪とも関係がないのです。

(6:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。 6:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。 6:9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。ローマ書)

 

<日々小さな出エジプトを>

しかし、私達は同時に罪の残した影響、傷、後遺症が残されているとも感じます。

神学校でこんな言葉を聞きました。「ユダヤ人には、解放後も奴隷根性が根深く残っていて、神はそれを造り変えようと奮闘された。私達にも罪の奴隷根性が根深く残っていて、いまだに、怒り、恨み、妬み、盗み、諦め、偽り、誘惑への弱さ、自分なんてという思いで一杯です。でも神はあなたをそこから連れ出したい、キリストに似たあなたに日々つくり変えたいのです」

 

奴隷根性と言われると、少し嫌ですが、思い当たる節がたくさんありました。心は、不安、恐れ、怒り、妬み、欲望、諦め、そういった古いはずのものに、満たされる場合があるのです。自分自身の、欲求や欲望に振り回されたり、恐れや不安に支配されたり、怒りや恨みや妬みに苦しめられていたりと、まるでそれらの奴隷であるかのように束縛されている場合があります。まるで、信仰を持ってもなかなか変われないのです、救われていないのでしょうか、そんな相談すらされます。しかしそれは錯覚です。救われているからこそ、罪に敏感なのです。けっして、騙されてはいけません。パウロ自身も、ローマ7章でそのような葛藤を語っています。それを受け入れ、諦めてはならないのです。

 

その神学校の先生は続けました。「でもそれは、罪の残滓(のこりかす)、罪の火口(ほくち:着火剤)でしかない。神は圧倒的な罪の支配からあなたをすでに解き放ってくださった。そして、罪の残した影響からもあなたを救い出してくださる。だから絶対に大丈夫。」と教えてくれました。

そして、パウロのローマ人への手紙から、ローマ7クリスチャンと、ローマ8クリスチャンという話をしてくれました。ローマ7クリスチャン(罪の後遺症を諦めるクリスチャン)ではなく、ローマ8クリスチャン(キリストによって変えられ続けるクリスチャン)になりなさい。」と

 

それらから日々出エジプトするために2点お伝えします。

1.キリストの血によって

出エジプトの際に、小羊の血を必要としました。私達も、罪とその後遺症からの出エジプトには、キリストの血を必要とするのです。

 

怒りや恨みに捕らわれた私たち、しかし、キリストの血は、私達の罪も、相手の罪も、十字架で赦されたのだと明らかにし、私達の怒りや恨みを溶かしていきます。

低い自己理解に縛られた私たち、しかし、キリストの血は、私達がキリストがいのちを捨てるほどの存在だということを示し、神の宝だという新しい理解を与えてくれます。

不安や恐れ、諦めに押しつぶされうずくまる私たち、しかし、キリストの血は、神自身が私達を信じ手放さないでくれることを教え、もう一度私たちを立ち上がらせてくださいます。

 

私達は、一度完全なキリストの十字架によって、罪の支配から救われました。そして、日々キリストの血によって、十字架によって罪の残した影響からも出エジプトしていくのです。パウロはその希望をローマ8章で記します。「8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 

2.良いものに支配される。

アウグスティヌスという神学者は、罪に捕らわれる私たちに対して自身の経験を踏まえ「悪への欲求が強すぎることが問題ではなく、善への(聖への)欲求が弱すぎることが問題」と語りました。

イエス様は、マタイ12:43~45で、ただ悪いものに内側が満たされるのを避けるだけでなく、良いものに内側が満たされるように教えています。不安から逃れたい、と状況の改善を願って、それが叶えられても今度は怒りや妬みに心がに満たされる、そんな経験はないでしょうか?そうでなく神に、善いものに満たされるのです。

今日のコロサイの箇所は、「暗闇の圧政」(罪や悪の支配)から解放され、「愛する御子のご支配」(神の支配・神の国)に移されたのだと語ります。(この支配とはギリシャ語でバシレイア、王国とか、権威、などを意味する言葉で、神の支配は神の国とも翻訳できる同じ言葉です。)

 

私は、支配と聞いて、権威と聞いて、ネガティブな、不自由な、イメージがあります。でもそれは、今まで良い支配者に、権威者に出会ってこなかったのかもしれません。しかし、私達を愛をもって支配する王様は、あなたのために奮闘し、寝ずの番をして、連れ出す方。あなたのために、自分を捨て、自らが奴隷・しもべのように、人々に仕え、十字架で身代わりに罪を引き受けた方です。

 

あなたが経験すべき「出エジプト」は何でしょうか?なにから解放され、新しくされる必要があるでしょうか?神様は必ずそれを成し遂げてくださるのです。神様と共に、エジプトを出ませんか?

 

<今週の黙想>

ローマ6~8をゆっくり読んでみてください。祈りの中で、あなたに手を伸ばす神様の手を、十字架の釘の跡のあるその手を、とってみてください。

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